CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
NEW ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
 
クラシック専門 音楽マネジメント
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第15回 最終回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第15回 最終回)

 





第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その4)

 

演奏会の翌年である1941年に、放送録音分の録音が日本コロムビアから13枚組のSP盤として発売された。また、同年にはシュトラウス自身が(おそらく東京初演に先駆けて)バイエルン国立管弦楽団を指揮して本作を録音したレコードがポリド−ルから発売されている。これらの録音はCDにも復刻されている。

 

だが、このシュトラウス自身が指揮したレコードは1940年収録と在るだけで日付が不明である。また録音に関しては相当難航したそうで、当初、日本ポリドールでは、楽団をベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でと希望した様だが、結局断念するに至った。シュトラウスが高齢の為に、住居を構えるミュンヘン南奥のガルミッシュからベルリンに向い、大編成のオケに対し新作の猛練習をするというのは、老齢の大家には負担が大きかったからである。結局のところ本番は2日にわたり、収録に要した時間は7時間に及んだそうである。

 

ヨーロッパ初演は1941年10月27日にシュトゥットガルトにて、ヘルマン・アルベルトの指揮によって行われた。1942年1月にはシュトラウスの遠戚であるルドルフ・モラルト指揮/ウィ−ン交響楽団によりウィ−ン初演されている。

 

 

この、日本とも密接にかかわったシュトラウスの『幻の』作品が、来年、シュトラウス生誕150年のメモリアル・イヤ−を記念して下記の日程で演奏される。

 



NHK交響楽団 1780回 定期公演(Bプログラム)

 

2014423日(水)/24日(木) 19時開演

サントリーホール

 

R. シュトラウス:祝典前奏曲 作品61

R. シュトラウス:皇紀2600年祝典曲 作品84

R. シュトラウス:バレエ音楽「ヨセフの伝説」作品63

 

指揮:ネーメ・ヤルヴィ

 

お問い合わせ:N響ガイド TEL03-3465-1780

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第14回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第14回)

 

 



第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その3)

 

シュトラウスは作曲中の楽劇『ダナエの愛』の作曲を中断して同曲の作曲に取りかかり、1940年4月23日に完成、6月11日にベルリンの日本大使館でシュトラウス自身から駐ドイツ大使来栖三郎に手渡された(ただし、直筆のオリジナルでなく自筆譜を写真複写したものにシュトラウス自身の自筆の献呈文を添えて)後、7月19日に日本に到着した。シュトラウスには作曲料として1万ライヒスタ−ラ−(当時の日本円で1万円、現在の価値に直すと約1,500万円ほど)を受け取った。

 

1940年12月7日に東京の歌舞伎座で、東京音楽学校教授のヘルムート・フェルマー指揮により初演。フェルマーはこの曲について、「シュトラウスは、日本音楽のモティーフを全く使用していないのに関わらず、日本精神の三大理想を明確に表現している」と評していたそうだ。

 

曲は単一楽章だが5つの部分から成り、それぞれに標題がついている。すなわち標題音楽的側面を持った曲として聴くことも可能だが、もちろん特定のストーリーを持っているわけではない(楽譜にもこの副題は記入されていない)。


 



1.
海の風景

静かな管楽器による和音の反復の上に15個のピッチのあるゴング、ハープが上昇音形を奏する序奏から始まる。さざなみのような弦楽器の上に主題が現れ、ホルンなどが絡みながら曲調を変えて発展していく。

 

2.桜の祭り

管楽器やグロッケンなどを伴奏に弦楽器の流れるような旋律が奏される。華麗な旋律が表情豊かに歌われ、祭典的な気分が強調される。主題がリズムを縮小した形でトランペット、ヴァイオリンで掛け合うように奏された後、低音の主導で曲を沈静化する。

 

3.火山の噴火

最弱音のオルガン、ティンパニ、低弦の不協和音からほぼ全楽器によって激しい音量変化を伴った上昇下降が繰り返される中、変形された主題が鳴り響く。元来あまり西洋音楽の中で描写されたことのなかった火山の噴火の音楽も興味深い。

 

4.侍の攻撃

弦楽器から始まるリズミックに変形された主題を用いてのフーガ。『英雄の生涯』の中の「英雄の敵たち」の部分と雰囲気がそっくりで、あたかも『英雄の生涯』の日本版と言った感じ。サムライの振舞いや倫理観の厳格さを表すために音楽で最も厳格な形式であるフーガを採用したらしい。

 

5.天皇賛歌

最後の天皇讃歌はいかにも祝典にふさわしい堂々とした音楽で、金管楽器によって高らかに主題が奏され、全合奏に引き継がれていく。途中に静まった部分を挟みながら主題が繰り返され、さらに冒頭のゴングも加わり、壮大なフィナーレを迎える。

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 10:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第13回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第13回)

 

 



第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その2)

 

1936年、ナチス・ドイツ最大の祭典として、国の内外にその威厳を知らしめたベルリン・オリンピックの開会式に、彼の作曲した(しかも無報酬で!)『オリンピック賛歌』(現在、オリンピックの開閉会式の際に歌われている同名のものとは別の曲で、当時は大会ごとに作曲していた)を指揮させられたのもゲッペルスの指示(というより半ば恐喝)である。それでもオリンピックの仕事が終わると、ガルミッシュの自宅へと戻り、再び公の舞台から姿を消した。

 

1938年になるとナチスはオ−ストリアに進駐して併合してしまう。ウィ−ンに一族を残しているシュトラウスのひとり息子フランツの嫁であり、自らの秘書的な立場でもあるユダヤ系のアリスにとってはますます困難な状況になった。そしてそれは彼女の二人の息子(言い換えればシュトラウスの孫)たちも同じだった。

 

そんな時、またしても『ドイツ音楽界の巨星』シュトラウスをナチスが担ぎ出す場面がやって来た。それが『日本の天皇のための祝典曲』の作曲だった。ゲッベルス宣伝相は、日本の依嘱をドイツの最も有名な作曲家であるリヒャルト・シュトラウスに割り振ったのであった。当時75歳のシュトラウスは、どうも余り気乗りせず、かと言って依頼を断ればナチスに目を着けられるのは間違いないので、ゲッベルスとある意味の「取り引き」を行ったのだ。それは義理の娘アリスとその息子たちの命を保証する代わりに『日本の天皇のための祝典曲』の作曲を渋々承諾したのであった。

 

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第12回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第12回)

 

 



第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その1)

 

1933年、ヒトラ−率いるナチス党が合法的に政権を掌握し、ドイツは『暗黒の時代』へとまっしぐらに突き進んでゆくことを、その当時どのくらいのドイツ国民が気づいていたのであろうか。まさに『真綿で首を絞められた』ような悪夢の時期だったといえるだろう。ナチスは国家社会主義に基づき、音楽を振興するとともに、知識人や音楽家たちの抑圧と同一化を目指すため、帝国音楽院を創設し、その総裁にリヒャルト・シュトラウスを(副総裁には指揮者のウィルヘルム・フルトヴェングラ−)を任命した。シュトラウスはユダヤ人の血統を持つ息子の妻と孫たちを守るためにその地位を受け入れ、自分の家族を守るためにナチスと良好な関係を維持せねばならなかった。これには帝国音楽院を管轄する宣伝相ゲッペルスの狡猾な脅しによるところが大きかった。

 

しかしながらナチスにとってすぐに都合の悪いことが起こった。それは最新作の歌劇『無口な女』の台本を担当したユダヤ人のシュテファン・ツヴァイクとシュトラウスとの盟友関係であり、ナチスから『無口な女』の初演ポスタ−からツヴァイクの名を外すように迫られたが、シュトラウスはこれを拒否し、ツヴァイクの名前のクレジットを守った。そのことで初演に出席予定だったヒトラ−は出席を取りやめ、結局この歌劇は3回の上演の後に公演禁止という憂き目にあった。また彼は多くのユダヤ人の友人や同僚達を保護しようとしたために、ナチスにとってシュトラウスは疎ましい存在、要するに『目の上のたんこぶ』みたいな存在となっていたのであった。そのシュトラウスに劇的な変化が訪れる。1935年6月17日にツヴァイクあての書簡をゲシュタポが開封し、その中にナチス批判のくだりがあることが判明。シュトラウスは翌月、帝国音楽院総裁職を辞任に追い込まれることとなる。

 

ただこれで『肩の荷が下りた』シュトラウスは、公的な活動から身を引き、ガルミッシュの自宅へと戻り、家族と暮らした。半ば隠居状態のように。そしてなんの足かせもなく作曲活動に没頭する日々を送ることとなった。毎日が規則正しく、午前中は9時には書斎に入り、昨日の続きから作曲を。午後はくつろぎ、時々孫たちと一緒に戯れたり、散歩をしたりして。そして夜は下書きした曲の清書といった具合に・・・。

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 01:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第11回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第11回)

 

 

第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その4 ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲) Op.20

 




日本政府の委嘱により
作曲されたが、この曲名が、「日本の紀元2600年を祝う場にふさわしくない」とし、「皇室の祝賀にキリスト教典礼の、しかもレクイエムとはもってのほか」として、イギリスは日本大使館から抗議を受け、ブリテンの名は消え、作品は演奏されなかった。日・独・伊三国同盟によりイギリスが敵性国家になったというのも原因の一因とみていい。また、ただ単に楽譜の準備が間に合わなかったので、こじつけをつけて演奏しなかったという説もある。しかし委嘱料の支払いは約束通り7,000円(今の価値で約1,000万円)行なわれており、楽譜の「返却」は行われていない。

 

なお、ブリテンの作品に関しては、従来から「レクイエム」の名を冠したことなどについて様々なことが言われてきているが、この曲の成立にはブリテンの個人事情も絡んでおり、事情は複雑である。当時、ブリテンは個人的な事情により盟友ピ−タ−・ピア−ズと共にアメリカに引っ越す。その直後に第二次世界大戦が勃発、イギリスも参戦し、かねてから兵役拒否者だったブリテンは帰る場所を失ってしまった。次第に生活費に困るようになり、またアメリカが好戦的になっていく姿にブリテンは絶望するようになった。そんな際、知人の出版業者ラルフ・ホークスらが、『日本が皇紀2600年奉祝曲の作品を各国作曲家に委嘱している』という話を持ちかけ、金銭に乏しかったブリテンはその委嘱に乗ることとなった。

当初はほかの曲をと思っていたが、なかなか作曲の筆が進まず、仕方なしに「両親の思い出に捧げた」この曲を送ることにした。しかしながら何人かの友人が「その題名は日本政府を誤解させる可能性がある」と忠告した(まさにその懸念が現実となったのではあるが)ようである。

 

曲は翌1941年3月30日にジョン・バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団により初演。そして日本初演は1956年2月18日に作曲者ブリテン自身の指揮により、NHK交響楽団で行なわれた。

 

曲は次の3楽章に分かれている。

第1楽章 涙のその日 Lacrymosa (Andante ben misurato)

第2楽章 怒りの日 Dies Irae (Allegro con fuoco)

第3楽章 久遠なる平安を Requiem Aeternam (Andante molto tranquillo)

 

各楽章のタイトルは、ロ−マ・カトリック教会の『死者のためのミサ(レクイエム)』の一節から取られているが、直接に葬儀に関連しているわけではない。ブリテンはそれぞれの楽章を、「緩やかな、行進風の哀歌」、「“死の踊り”の形式」、「最後の解決」と呼んでいた。演奏時間約20分。

 

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第10回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第10回)

 

 

第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その3 ピツェッティ:「交響曲 イ調」

 




イタリア政府が奉祝楽曲の作曲家として指名したのは、
「20世紀のパレストリーナ」と呼ばれた当時ミラノ音楽院の院長職にあったピツェッティであった。ピツェッティはレスピーギ、マリピエロ、カゼッラと並ぶ近代イタリアの大家で、新ウィ−ン楽派と同世代でありながら、近現代の音楽に嫌悪感を示し、初期バロック音楽やルネサンス音楽への回帰をうたった作曲家であり、セザ−ル・フランクの作風とよく似ているという指摘もある。後年、カラヤンも好んで取り上げていた歌劇『大聖堂における殺人』が有名だ。

 

ピツェッティはムソリ−ニのファシスト政権と近しかったという意見もあり、しばしば議論の的となるが、そのことが、この曲を作曲させたことと関係するかは定かではない。

 

1940年2月25日完成。日本側に引き渡し、1940年7月に、関係諸機関を通じて日本へ楽譜が到着している。同年12月、東京の歌舞伎座で、宮内省楽部教師ガエタノ・コメリ指揮により初演。

 

この交響曲は、グレゴリオ聖歌風のメロディを軸として劇的な対位法で展開し、暗いテンションをかけ、それで最後の希望も失われないといった内容になっている。第1楽章は序奏付きのソナタ形式で、グレゴリオ聖歌風な循環主題が特徴。第2楽章は三部形式。循環主題を想起させる旋律が次第に厚みを増してゆき、やがて静かな、緊迫感のある音楽になる。第3楽章はスケルツォ。メンデルスゾ−ンを思わせる細やかなパッセージと、リズムの刻みが特徴。そして第4楽章は序奏付きの行進曲という、演奏時間約45分の力作。イタリアでは「ピツェッティのオーケストラ作品の中の最高の要素を全て集約した傑作」と評されているようだ。

 

録音は、1940年のラジオ放送時の録音以外存在しない。また、この年に演奏された後は、ほとんど演奏機会に恵まれていないのが現状である(1959年1月に東京フィルハ−モニ−交響楽団が定期演奏会で取り上げている)。

 

このように日本とは浅からぬ因縁があり、作風も日本において広く好まれているロマン派音楽の伝統に従っているにもかかわらず、現在ピツェッティの作品が日本で広く親しまれているとはいえない。

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 12:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第9回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第9回)

 

 

第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その2 ヴェレシュ:交響曲第1番 「日本風 (ヤパン・シンフォニア)

 




日本政府からの依頼を受け、ヴェレシュは交響曲(第1番)を作曲した。1940年5月9日、ハンガリーから帰国してきた書記官によって届けられたことから、その前に完成し、ハンガリ−の日本大使館で引き渡されたものであろう。同年12月、東京歌舞伎座で橋本國彦指揮により初演された。

 

「祝典曲」として作られたのだから、全体的にこの曲は明るい色調を帯びている。しかも、ヴェレシュ自身が自分の中にある「日本」のイメージを音で表現したような印象を受ける。しかし、彼自身は来日したことがなかったようで、日本人である私が聴くと、東洋的な音楽とハンガリーの民俗音楽を混ぜ合わせたような独特の音響空間が拡がっている。作品は3楽章からなり、全体的にはヒンデミットのようなモダニスティックな新古典主義風で、ミニマリズムのように繰り返されるリズムが特徴的な第1楽章、穏やかだがコーダに至って小爆発する第2楽章、ラプソディー風な終楽章からなる。「皇紀2600年」との絡みで忘れ去られてしまうには惜しい作品だと思う。演奏時間は約20分。

 

交響曲や協奏曲など多くの作品を作曲していたが、戦後ヴェレシュは共産化した祖国を嫌って「ソ連の影響がなくなるまで」と言い残してスイスに事実上の亡命を行う。それにより社会主義政権下のハンガリーでは、彼の作品の演奏が禁じられることになったのだが、教え子のハインツ・ホリガ−や、ピアニスト、アンドラ−シュ・シフらが取り上げ、バルト−ク、リゲティ、クルタ−クらの流れをつなぐ重要な作曲家として再評価されるようになった。現代的手法とハンガリーの音楽的伝統を結合させ、洗練された旋律と清澄な表現が特徴的。かくして21世紀になり再評価を受けている。

 

2000年に日本ハンガリー友好協会が「音楽史上の貴重な財産」であるこの「日本交響曲」の再演を日本で実現させる。これを聴いたハンガリー国立交響楽団の団長ラズロ・ホルバ−トが感激し、2002年1月にハンガリー国内の演奏会で取り上げ、CD化もされた。2002年7月16日、ハンガリー訪問中の天皇行幸の際、ハンガリー大統領主催の晩餐会において同氏からこの曲のCDを贈っている。

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 15:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第8回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第8回)

 

 

第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その1 イベ−ル:「祝典序曲」

 




第二次世界大戦のさなか、1939
年にフランス政府より依頼を受け、翌1940年4月ローマにて作曲、完成。徳川侯爵の手を経て日本に送られた。1940年12月に東京の歌舞伎座で山田耕筰指揮により初演。

 

しかしながらイベ−ルは、同年6月にフランスへの帰国途中でこの曲の自筆譜を無くしてしまった。翌年アンティーブでこの曲を書き直し、1942年1月21日、シャルル・ミンシュ指揮、パリ音楽院管弦楽団によってフランス初演が行われている。この演奏会に来ていたオネゲルは、雑誌の取材で、「一度聴いただけで音楽について語るのは難しい。とくに、この序曲の場合のように、音楽の最も到達しにくい領域に身をひそめているものは、一層困難である。この曲は、J.S.バッハの「トッカータ」と比較できるであろう。これにきわめて近いのである。堂々たる構築上の特色、テーマの表現力、オーケストラの書法についての絶対的な自信などによって、この作品は完全な勝利の印象を与える」と応えている。

 

曲は力強い序奏で始まり、低弦が重々しくもリズミカルな主題が奏される。これが全楽器に広がって盛り上がりを見せ、その頂点(一種の「歓喜」)に達すると、金管楽器までも含むオーケストラによるフーガが始まる。冒頭のテーマが再びあらわれて、少しすると、金管が第2テーマを吹奏する。この主題は戦争礼賛的な性格を持っている。つづいて弱音のトランペットが奏でる神秘的な静けさがあり、やがてサクソフォーンとバス・クラリネットが、挑発的な舞踊に似合いそうなテーマを奏する。その動きはしだいに大きくなり、拡大する。オーケストラは新たな情熱にとりつかれて、豊かな主題の素材を展開させ、高らかに鳴り響き、輝かしい結びで曲は終わる。演奏時間は約15分。

 

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 21:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第7回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第7回)

 

 

第3章 日本で作曲された奉祝曲

 

日本国内でも紀元2600年を祝う曲が数多く作曲され、演奏されたようだ。すでに前年の1939年には新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が主催して紀元2600年を祝う管弦楽曲を公募し、14作品の応募があったのだが、審査員の信時潔、諸井三郎、ヨ−ゼフ・ロ−ゼンシュトックらの審査の結果、『該当作品なし』となった。その他、日本中央文化連盟などが奉祝曲を募集し、いくつかの演奏会で披露された。なお、邦人作曲家の作品は、前述の奉祝演奏会では演奏されず、別の機会に演奏されたようである。

 

主だった日本人作曲家による「奉祝曲」

伊福部昭:交響舞楽「越天楽」

橋本國彦:交響曲第1番

信時潔:交声曲「海道東征」

箕作秋吉(当時は秋吉元作):序曲「大地を歩む」

清瀬保二:「日本舞踊組曲」

大木正夫:「羽衣」

大沼哲:「大歓喜」

斉藤丑松:行進曲「大日本」

陸軍戸山学校軍楽隊:行進曲「大日本」

山田耕筰:歌劇「黒船」(初演時は「夜明け」)

市川都志春:交響組曲「春苑」

宮城道雄:祝典箏協奏曲、寄櫻祝、大和の春

大澤壽人:交響曲第三番「建国の交響楽」、交声曲「万民奉祝譜」、交声曲「海の夜明け」

菅原明朗:紀元二六〇〇年の譜、交声曲「時宗」

尾高尚忠:ピアノ・ソナチネ

中山晋平:新民謡「建国音頭」

柳田義勝:新民謡「建国舞踊」

飯田信夫:舞踊曲「仏教東漸」

 

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第6回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第6回)

 

 

第2章 祝典行事(その3)

 

その2 奉祝音楽会(続き)

 

そして1940年12月7日と、8日の両日にわたり、東京・銀座の歌舞伎座において皇室や華族、松岡洋右ら来賓向けの招待演奏会が行われ、次の指揮者により演奏された。まずイベールを山田耕筰が指揮、続いてヴェレッシュを橋本國彦が、さらにピツェッティをガエタ−ノ・コメリ、そして最後にリヒャルト・シュトラウスをヘルム−ト・フェルマ−が指揮した。演奏会は続いて12月14日と15日に一般向けの演奏会が東京・歌舞伎座において、さらに12月26日と27日には大阪歌舞伎座で一般向け演奏会が開かれた。その合間を縫って12月18日と19日には放送会館第一スタジオから全国に向けてラジオ放送が実施された(18日にはイベールとヴェレッシュが、19日にはピツェッティとシュトラウスの曲が演奏され、放送された)。このスタジオでの放送と共にレコ−ディングも行われ、翌1941年に日本コロムビアから13枚組のSP盤として発売された。このSP盤と印刷された楽譜とともに作曲者に送られたと記録が残っている。

 

 

その3 その後の奉祝曲

 

奉祝曲の演奏史をたどるのはあまり容易ではない。シュトラウスの曲のヨーロッパ初演は1941年10月27日にシュトゥットガルトにて、ヘルマン・アルベルトの指揮によって行われた。1942年1月にはシュトラウスの遠戚であるルドルフ・モラルト指揮/ウィ−ン交響楽団によりウィ−ン初演されている。また、イベールの曲は、初演前後に一旦紛失したもののメモを参考に書き直し、1942年1月24日にシャルル・ミュンシュ指揮/パリ音楽院管弦楽団によってヨーロッパ初演が行われている。演奏をしなかったブリテンの曲は、1941年3月にニュ−ヨ−ク・フィルの演奏会で世界初演された。

 

1945年、日本の敗戦とその後の情勢の変化により奉祝曲(ブリテン作品も含む)の運命も変化することになった。奉祝曲そのものは奉祝会の後身団体である「光華会」から東京芸術大学図書館(総譜)とNHK(パート譜)に寄贈された。また、シュトラウスの曲は判明しているだけで少なくとも日本ではNHK交響楽団、読売日本交響楽団、仙台フィル、東京フィルなどで演奏されている。ブリテンの曲は1956年2月18日にブリテン自身の指揮でNHK交響楽団によって日本初演された。

 

 

 

 
| 短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係 | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事