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| - | | - | - | pookmark | 昨年の記事
ウィーン最終日
29日、朝早めに起床して荷造りに取りかかる。日程の関係で、ベルリンへの移動は夜行列車という強行スケジュールとなった。

アパートは西駅の近くなので、まとめた荷物は出発直前まで部屋に置いたまま今日のミーティングスケジュールをこなし、今夜の夜行列車でウィーンを発つ。
| 社長の海外出張日記 | 08:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
ミーティングは順調
週明けの今日からウィーンでのミーティングが開始となりました。午後に2つ、コンサート後に1つです。

おまけにウィーン・フィルのメンバーと休憩中に会って話をすることになりました。

ウィーンも明日で最後、ちょっぴり名残惜しい感じです。
| 社長の海外出張日記 | 04:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
10月26日は「国家祝日」
オーストリアでは10月26日は「国家祝日」である。1955年のこの日、第二次世界大戦後の四ヶ国(アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦)統治が終了し
、オーストリア共和国として主権が回復した日であり、その日を記念した祝日となっている。ちなみに、オーストリアでは祝日に定められた日の大部分が宗教的な色彩が濃いものであり、この「国家祝日」は異色な感じのするものだ。
| 社長の海外出張日記 | 15:24 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
プラハからウィーンへ
24日、プラハのホテルをチェックアウトして、プラハ本駅へ。駅前のホテルだから、徒歩5分とかからない。8時39分発の特急列車で一路ウィーンへ。13時2分にウィーン・シマリング駅に到着し、Uバーンに乗り換えて西駅に向かう。

14時前にアパートに到着。大家にあいさつして、荷ほどきをする。今回、大家がこの物件を売りに出すということで、持ち帰る物、棄てる物、引き続き置いておく物に整理しなければならない。それはおいおいやるとして、ひとまずウィーン市内へ。

約3年半ぶりのウィーンだ!変わったところとそうでないところがあるが、なんといっても西駅の変貌だろう。約1年後にはウィーン中央駅が全面開業し、ウィーンの表玄関の座を明け渡す予定なのだが、それにしても見事な変わり様だ!まるで一大ショッピングモールかのようなお店の充実ぶりに驚くばかりだ。しかしながら昔、駅に入っていながら、今回の新装には無くなっているお店もあったりして、ちょっとさみしい感じもするものだ。
| 社長の海外出張日記 | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
エステート劇場



プラハには重要なオペラハウスが3つある。1つ目は『国立オペラ劇場』といい、ビロード革命前には『スメタナ劇場』と呼ばれていた劇場で、1888年にワ−グナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で開場し、現在では、外国のオペラを中心に上演している。2つ目は、以前は『国立劇場』と呼ばれていた『国民劇場』で、モルダウ(ヴルタヴァ)川沿いにそびえ建ち、1881年にチェコ国民がオペラの自国語上演を熱望して建てられた劇場で、母国の英雄スメタナの『リブ−シェ』でオープンした。しかし、その2ヶ月後炎上してしまったため、超特急で工事が進められ、1883年に同じく『リブ−シェ』でにて再開場した。現在でもスメタナやドヴォルジャーク等、自国の作曲家を中心に上演されている。そして3つ目がエステ−ト(スタヴォフスケー)劇場である。開場は1783年と他の劇場よりも100年も歴史が古く、世界中のオペラハウスの中でも、現存するものとしては最古の劇場のひとつで、1786年、モーツァルトにより『フィガロの結婚』を指揮し、1787年10月29日には、『ドン・ジョヴァンニ』がここエステート劇場で初演された。

 




モーツァルトが自身の作品を指揮した劇場で唯一現存するのが、ここエステート劇場でもあり、モーツァルト・ファンには見逃せない場所だ。また1791年には彼の最後のオペラ『皇帝ティトの慈悲』も初演された。開場当初は『国民劇場』と呼ばれていたが、1799年にボヘミア貴族(チェコ語でスタヴォヴェー)に売り渡され、その際にスタヴォフスケー劇場と改名された。その後、ドイツ語のオペラ中心になったり、チェコ語のオペラ中心になったりしたが、第2次世界大戦後、19世紀の劇場監督ヨーゼフ・カイェタン・ティルにちなんで『ティル劇場』と名前が変更。そして、8年もの長い改修工事ののち、1989年のビロード革命後、劇場の再開場と同時に再び『スタヴォフスケー劇場』へと名前が戻った。現在は国民劇場と同じ組織で運営され、840席ほどの小さな劇場ではあるが、モーツァルトの作品が中心に上演されている。劇場内部の装飾は見事で、いかにしてヨーロッパ音楽がはぐくまれてきたかを体験できるというもの。また映画「アマデウス」の撮影に使用されたところでもある。

 




入り口は、これがオペラ劇場なの? と思わせるほど小さいが、とても美しい劇場である。客席は左右の幅の狭い馬蹄形で、うすい緑と青の品のいい壁に金箔の装飾が施され、天井には、カメオ風の大理石が8つほど埋め込んであり、古き良き時代の劇場にタイムスリップしたようなような錯覚を感じさせる雰囲気だ。座席は、パルテレ(平土間)の上に3層のバルコン(ボックス席)、その上に2層のガレリ−(天井桟敷)となっていて、小さな劇場なので天井が高く感じられる。当日はこけら落としでも上演された『フィガロの結婚』だったが、正装の観客は少なく、セミフォーマルな服装やカジュアルな服装が目立ちものの、演出に対しても歌手に対しても、とても暖かく、ある意味アットホームな感じのする劇場である。舞台上にはチェコ語と英語の字幕が出ている。

 

 

 

 
| 社長の海外出張日記 | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
ミュンヘンからプラハへ

22日、朝7時過ぎにホテルをチェックアウトして、ミュンヘン中央駅へ。中央駅北口からドイツ鉄道高速バスでプラハに向かう予定だったのだが、バス停留所がなかなか見つからず右往左往。ドイツ鉄道係員の対応でやっと停留所も見つかり、出発することができた。バスの旅は約4時間半、途中大した渋滞もなく、午後1時前にプラハに到着した。

 

 

 
| 社長の海外出張日記 | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
ノイシュヴァンシュタイン城へ行く



21日、早朝からホテルを出て、ミュンヘン中央駅へ向かう。中央駅からは列車に乗って一路フュッセンへ。約2時間の旅だ。状況をお察しの方ならもうお解りだろう。フュッセンは、ロマンティック街道の終着点でもあり、バイエルン・アルプスの峰々や、美しい自然織りなす森や湖の宝庫であり、なんと言っても郊外のシュヴァンガウにたたずむノイシュヴァンシュタイン城がある場所である。

 

ノイシュヴァンシュタイン城は、バイエルン国王ル−トヴィヒ2世が17年もの歳月と、莫大な国費を投入して自分の夢を実現させるため(だけ)に精魂込めて建造した白亜の城だ。中世風の建築様式ではあるものの、見る方向によりまったく別の城に見えてしまうのも興味深い。この美しい城の裏に潜むル−トヴィヒ2世の孤独で数奇な狂気に満ちた運命は、シュタルンベルク湖での彼の謎の死まで、現在でも多くの人々の関心を集め、多くの映画や書籍として後世に語り継がれている。

 

今年が生誕200年のリヒャルト・ワ−グナ−のパトロンとしても知られているル−トヴィヒ2世は、彼のオペラに異常なまでに取りつかれていて、特に『ロ−エングリン』や『パルシファル』の場面がこの城に描かれている。「ノイシュヴァンシュタイン」というこの城の名前も、ル−トヴィヒ2世とワ−グナ−の馴れ初めとなった『ロ−エングリン』の白鳥伝説に由来している。

 

今回は示唆に富んだ情報を得られた見学となった。城内は写真撮影禁止ということで、城内の様子をお届けできないのが残念だ。この写真は、シュヴァンガウの城の麓から撮影したもの。時間の都合により、我々が日ごろよく見るマリエン橋からのショットが収められなかったのも残念だ。

 

 

 

 
| 社長の海外出張日記 | 07:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
巨大なホーフブロイハウス
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初めてミュンヘンを訪れた人は必ずといっていいほど行くと言われているのがホーフブロイハウスだ。ホーフブロイとは宮廷ビール醸造所という意味で、1589年にこの地を治めていたヴィッテルスバッハ家の醸造所として設けられ、あのヒトラーがナチス結党集会を催した場所でもある。3000人もの人を収容する巨大ビアホールだ。

ここでは1リットルも入る大ジョッキ(マースと呼ばれる)を味わいたい。体躯の良いウェイトレスが両手に5つずつマースを運んでいる姿(中味だけでも5キロ、ガラスのジョッキを含めると・・・、圧倒される)を見るにつけ、ゲルマン人には勝てっこないなぁと妙に感心しさえする。
| 社長の海外出張日記 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
ヴァイセスブロイハウス
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ここは世界中に根強いファンを持つヴァイス・ビア、シュナイダー・ヴァイセの直営ビアホール。

ここに午前中にやって来るといったらやることはただひとつ、ヴァイス・ヴルスト(白ソーセージ)を食べるに決まっている。ヴァイス・ヴルストは、子牛肉にパセリなどの香草、香辛料を混ぜ合わせたすり身を豚の腸に詰めたものをボイルしたもので、2本がセットになって出てくる。

ヴァイス・ヴルストをお皿に取り、縦に真っ二つに切って、中身を皮から剥がし、甘い辛子(?)をたっぷり付けて食べる。はんぺんのような食感で、病みつきになるお味だ。

ただ、「ヴァイス・ヴルストにお昼の鐘の音を聞かせてはならぬ」という格言があるように、ヴァイス・ヴルストはとてもいたみやすいソーセージなので、その昔は出来立ての新鮮なものを午前中に食べるという習慣があったので、いまだに多くの(観光客相手ではない)お店ではお昼までしか出さないという伝統を頑なに守っている。

このヴァイス・ヴルストに良く合う飲み物がヴァイス・ビアで、一部のお店では、ヴァイス・ビアとヴァイス・ヴルストの組合せのことを、「ヴァイス・ヴルスト・フリューシュトゥック(ヴァイス・ヴルストの朝食)」と呼ぶところもあるほどだ。
| 社長の海外出張日記 | 17:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
日曜日のミュンヘン
金曜日、無事にミュンヘンに到着してからミーティング続きで、忙しかったのですが、さすがに「安息日」の日曜日には予定が入っていないので、今日はミュンヘン・ビアホール巡りをしたいと思っています。

夜は19時より、ガスタイクで、ミュンヘン・フィルのコンサート(ブリテンの戦争レクイエム 指揮:マゼール)を聴きに行く予定です。
| 社長の海外出張日記 | 15:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事