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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第30回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス第30回 (最終回)

第15章  ロンドンのオペラハウス

 

 

大英帝国の宝、ロイヤル・オペラハウス(コヴェント・ガーデン王立歌劇場)

 





ロンドンと言えば何といってもコヴェント・ガーデンと呼ばれる、ロイヤル・オペラハウス。この劇場の歴史は大変に古く、1732年に遡る。ごく初期のころにはバロック音楽の巨匠ヘンデルのオペラも数多く上演された。そして2度の大きな火事を経て、
現在存在する建築物は第三代目にあたり、1858年にマイヤベーヤの「ユグノー教徒」でオープンしたもので、ファザ−ドと玄関、客席はその当時のものが現存している。4階建ての円形観客席を有し、舞台の幅は12.20m、高さ14.80mである。観客席部分はイギリスの指定建造物となっている。歌劇場は1892年にロイヤル・オペラ・ハウスへと名称を変更した。オペラ上演と並行し、毎年夏と冬にオペラおよびバレエの公演が行われた。

 

1960年代に円形客席部分の拡張など小規模の改装が実施されていたが、根本的な大改装が必要であるとの意見が次第に強まっていた。1975年に当時の労働党政府は長期間におよぶ改装工事に使用するため隣接する土地を歌劇場へ与えた。しばらくの間は資金のめどが立たなかった(『イギリス病』ともいわれる長期の不況が原因)が、1995年には資金のめどが付き、翌1996年から2000年までの4年間を用いて大規模な改装工事に取りかかった。観客席以外の大部分および歌劇場に隣接する建物を取り壊し、全ての部分を大きく拡大され、新しい歌劇場は以前の倍にもおよぶ容積を有している。新歌劇場は以前と同様の馬蹄型観客席を有しているが、技術設備、リハーサル用設備、オフィス、教育用施設など新しい機能が盛り込まれた。地下にはリンブリ−・シアタ−と呼ばれる新しい劇場が設けられた。歌劇場に隣接しコヴェント・ガーデン・マーケットとして利用されていた旧フローラル・ホールも歌劇場の一部として取り込まれた。現時点ではヨーロッパにおける最も近代的な設備を誇る歌劇場となっている。こうして現在の最新設備の整った素晴らしい劇場へと生まれ変わった。広大な土地に、巨大な空間を持った豪華なホワイエ、レストランやバーの規模はおそらく世界一かと思われる。特にアンフィシアターと呼ばれる劇場内のレストランは、味もサービスも眺めも大変良く、お勧めである。

 




ここのオペラハウスを語る時にロイヤル・オペラとともに忘れてならないのは、同劇場を本拠地とするロイヤル・バレエのことである。パリ・オペラ座、モスクワのボリショイ・バレエ団とともに世界の三大バレエ団と呼ばれている。そして、熊川哲也、吉田都の出身バレエ団としても有名である。

 

劇場の造りは、4層の馬蹄形。1階席(平土間)とほとんど段差のない1層目。そして2層目、3層目が広がるが、ボックス席は数えるほどしかなく、各層の列ごとに段差のついたどの席からの良く見える構造である。そして最上階の4層目は20列もの急な段差を持つ造りになっており、上の方の席だと高所恐怖症の人には少々怖いかも知れない。ク−ベリックやショルティ、C.ディビスなどの著名な歴代音楽監督を有し、現在の音楽監督は、ハイティンクのあとを受けた新進気鋭のイタリア人指揮者、アントニオ・パッパーノ。オーケストラ、合唱、バレエ団、スタッフと劇場のレヴェルも高く、間違いなく世界の五指には入るであろう。

 




改装前はチケット保有者しか入ることはできなかったが、現在は開演の数時間前までは一般客にも公開され、ホワイエを歩いたり劇場レストランで昼食を楽しむことができる。バックステージ・ツアーに参加すれば、建物だけでなく練習するバレリーナの姿を見る機会もあるかもしれない。


*長らくお楽しみいただきました「世界のオペラハウス」は今回をもって最終回といたします。ご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第29回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス第29回

                    

第14章  スペインのオペラハウス

                               

 

バルセロナ・リセウ大劇場




 

バルセロナのオペラハウスといえば、リセウ大劇場。バルセロナの目抜き通りであるランブラス通りのちょうど中間点に位置し、同都市を代表する観光スポットのひとつである。1847年に開場した歴史を持ち、現在でもヨーロッパ有数の劇場として、イベリア半島No.1の座は揺るがない。2度の大火災に見舞われたが、1995年に再開場し、意欲的な公演を続けている。近年は同劇場で様々なDVDCDが収録されており、一部のファンの間ではミラノ・スカラ座や、ウィ−ン国立歌劇場などと並び称される程の評価を得るなど、カルト的人気のある歌劇場である。通称 "El Liceu"(エル・リセウ)。

 

「リセウ大劇場」という和訳は劇場の所在するカタルーニャ自治州の公用語であるカタルーニャ語の名称(Gran Teatro del Liceu)を元にしている。スペイン語では「リセオ大劇場Gran Teatro del Liceo)」となり、寧ろ近年までこちらの表記が一般的であった。 また「リセウ歌劇場」や単に「リセウ劇場」等と様々な表記が観光ガイドブックやネット上で使われており一様でない。本記事では原語を尊重し「リセウ大劇場」で統一する。




 

客席は2292席。これはヨ−ロッパ最大を誇る。間口33メ−トル、高さ27メ−トルのプロセニアムを持ち、平土間と5つのバルコニ−を有する内装は、古き佳きスペイン無敵艦隊の栄華を誇るかのようだ。ロビ−も豪華極まりない。特に鏡の間は圧巻で、豪華絢爛な雰囲気、ここで幕間にシャンパンでも飲みながら談笑するとさぞ心地よいだろう。

 

ここの天井桟敷の人々もスカラ座に勝るとも劣らないツワモノ揃いで、下手な歌や演出ならば容赦ないブ−イングが天井付近からシャワ−のように浴びせかけられる。

 

 

 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第28回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス第28回

 

第13章  ドレスデンのオペラハウス(ゼンパ−オパ−)

 

 

ドレスデンが誇る名門ゼンパーオーパー






エルベ川のフィレンツェとも呼ばれる古都ドレスデン。中世からザクセン王国の首都として栄華を極め、19世紀にはパリを凌ぐほどの音楽都市としても栄えた。

 
ドレスデンはドイツオペラ史そのものと言ってよいほどの歴史を誇る。まず、ドイツ人作曲家のハインリッヒ・シュッツ(1585-1672)が、1617年に宮廷楽団を作り、1627年に最古のドイツ語によるオペラ「ダフネ」をザクセン王家の婚礼のために書き、ヴァイセンフェルス城で初演した。当時フィレンツェで生まれたばかりのオペラはすべてイタリア語のものであったため、画期的な出来事であった。そして、1667年には現在のゼンパーオーパーの前身である宮廷歌劇場が建てられた。次にドレスデンのオペラ史に名前を刻むのは、カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)で、1817年から1826年まで宮廷歌劇場の音楽監督として活躍した。ウェーバーは、ドイツ語によるオペラの確立を目指し、ドイツ・ロマン派オペラの金字塔「魔弾の射手」を作曲、1821年にベルリンで初演した。そして、「魔弾の射手」はドレスデンでも最重要な演目として、今まで最も多く上演されているオペラとなっている。





1841年に建築家ゴットフリート・ゼンパーによって新しいザクセン宮廷歌劇場を建てたが、この劇場が彼の名前を取ってゼンパーオーパーと呼ばれることになった。その新しいオペラハウスに乗り込んできたのがリヒャルト・ワ−グナー(1813-1883)である。ワ−グナーは1843年から49年まで宮廷楽長を務め、「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」の初演を行い、熱狂的に受け入れられた。ワ−グナーが去った後しばらく低迷期を迎えるが、音楽総監督のエルンスト・フォン・シューフ(1846-1914)によってリヒャルト・シュトラウスの連続初演によって蘇る。1901年の「火の災難」から「サロメ」「エレクトラ」「ばらの騎士」と現在彼の代表作と呼ばれる作品が矢継ぎ早に初演された。その後も「アラベラ」「無口な女」「ダフネ」などが初演された。特に「ばらの騎士」の人気は凄まじく、ベルリンのオペラファンのために「ばらの騎士号」という臨時列車が運行されるほどだった。そして、シュトラウスの他にもブゾーニの「ファウスト博士」、ヒンデミットの「カルディアック」なども初演された。1945年の空襲によって壊滅的な打撃を被り、シュウピールハウスで上演が行われていたが、空襲40周年で、しかもシュッツ生誕400周年の年、1985年に「魔弾の射手」で遂に再開場を果たす。2002年には大洪水で大きな被害を受けたが、再び不死鳥のように蘇った。





現在のゼンパーオーパーは、ゼンパーの設計部分を残しつつ近代的な舞台を持っており、ミュンヘン、ベルリンとドイツオペラ界の覇権を争っている。入口にはゲーテとシラーの像があり、内装は客席もホワイエは素晴らしく美しい。客席は平土間を4層のバルコンが取り囲む形の典型的な馬蹄形で、座席は1,309。音響も抜群に良いが、特に上の階の方が良いといわれている。






オケピットに入るのは、ドレスデン・シュターツカペレ。ザクセン国立歌劇場管弦楽団とかドレスデン国立歌劇場管弦楽団とさまざまな名前で呼ばれるオーケストラである(劇場の管理はドイツの他の劇場と一緒で州政府の統括下にあり、正しくは『州立歌劇場』と言わなければならない)1548年創立という500年近い歴史を誇るが、ちなみに世界最古のオーケストラはデンマーク王立管弦楽団で、1448年創設である。ドレスデン・シュターツカペレは、前述のようにウェーバー、ワ−グナーらが楽長を務めた他、カール・べーム、ルドルフ・ケンペ、若杉弘、ジュゼッペ・シノーポリ、ベルナルト・ハイティンクなどが首席指揮者を務めた。2007年からは、イタリア人指揮者のファビオ・ルイージが音楽監督(カペルマイスター)とゼンパーオーパーの音楽総監督を務めていたが、今年2月に早期辞任し、2012年からはクリスティアン・ティ−レマンが後任に予定されている。

 

 

 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第27回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス第27回

          

第12章  新国立劇場

 

 

ついに新国立劇場を紹介!

 




日本のクラシック界は、優秀な音楽家を輩出し、数多くの素晴らしいコンサートを持ち、無数の海外のアーティストたち来日していながら、大問題を抱え続けてきた。それは、オペラハウスを1つも持っていないことである。

イタリアやドイツなどに行けば、どんなに小さい町でも“おらが町のオペラハウス”が町の真ん中にあり、町の人たちに愛されている。また、世界中の先進国でオペラハウスを持っていない国は当然日本だけで、私も歯がゆい思いをし続けてきた。そして、諸先輩たちの苦労がついに実り、4面舞台の素晴らしい設備を兼ね備えたオペラハウスが1997年に完成したのである。

 




1997
1010日、永年のオペラファンやすべての音楽関係者の夢と希望を受け、初台に新国立劇場がオープンした。團伊玖磨の新作オペラ「建・TAKERU」の評判は決して上々とは言えなかったが、今でのあの時の興奮は忘れられない。建設前からずっと第二国立劇場と仮称で呼ばれていたため、今でも古い音楽ファンは二国(ニコク)と呼んでいるが、もちろん正式には新国(シンコク)である。オープニングのシーズンは、「建・TAKERU」の後、ワ−グナーの「ローエングリン」を作曲者の孫であり、当時のバイロイト音楽祭の総監督でもあったウォルフガング・ワ−グナ−が演出を担当し、ヴェルディの「アイーダ」では、当代一の名演出家フランコ・ゼッフィレッリの豪華絢爛の舞台や当時若手の注目No.1テノール、ホセ・クーラのラダメス役などで注目され、素晴らしい舞台となった3演目であった。

 

 そもそも新国はどこにあるのか?行ったことのある人や東京近郊に住んでいる人は当然知っているであろうが、初台というところにある。初台は、京王新線の新宿から1つ目の駅で地下にある。そして、北口が新国に、東口がオペラシティへ地下から直結している。しかも、公演がある時には渋谷駅との往復無料シャトルバスも運行しているので、ロケーションはかなり良い。




 

新国は、その初台交差点に面している東京オペラシティという文化複合施設の敷地内の一画を占める。すぐ横(上?)を首都高速4号新宿線が走っていて、都心と中央高速方面の行き帰りには必ず目に入る。東京オペラシティのメインのビルは、1996年に完成した地上54階の超高層ビルで、この1階から4階部分にかけて立派なコンサートホールを持っている。この東京オペラシティのコンサートホールは、作曲家の武満徹の名前を取って、正式名称をタケミツメモリアルと言う。こちらは主にオーケストラのコンサートに使用され、1,632席の客席、立派なパイプオルガンを持ち、音響がとても良いことでも知られている。19979月に小澤征爾の指揮、サイトウキネンの「マタイ受難曲」でオープンしたので、こちらも今年で10周年を迎えた。また、286席のリサイタル・ホールという小ホールも持っていて、主に室内楽のコンサートが行われている。地下に立派なリハーサルも2つ持っていて、私もそこで何度もリハーサルをしたことがある。

 





一方、新国は、大劇場(1,814)、中劇場(1,010)、小劇場(468)3つのホールからなり、オペラ、バレエ、現代舞踊、演劇の自主公演を行っているが、一部貸し劇場公演も行っている。大劇場は、1,800席あまりの客席と理想的な広さと空間を持ち、近代建築の粋を集めた劇場で、素晴らしい音響効果を誇っている。その大劇場は当初よりオペラ劇場と呼ばれていたが、近頃10周年を記念して愛称が公募によって「オペラパレス」になったそうである。正直な感想としては、“何だ、その名前は?”という印象だったが、何もアイディアがなく応募をしなかった私に文句を言う権利はないであろう。将来「オペパレ」などと何だか軽薄な名前で呼ばれないことを祈るのみである。

 

 

 

 





 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第26回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第26回

 

第11章  ロ−マ歌劇場

 



 

「永遠の都」とも呼ばれ、キリスト教の総本山ヴァチカンを抱えるローマ歌劇場を紹介する。

 

ローマという街に関して特に説明は必要ないであろう。2500年の歴史を誇り、7つの丘に囲まれ、テレヴェ川のほとりに広がる永遠の都である。古代ローマ時代、中世、ルネッサンス、バロックなど各時代の建築物が無数の噴水や広場と相まって、見事な調和を持ち、美しくも壮大な街を形成している。現在はイタリアの首都として政治経済の中心地であるとともにラツィオ州の州都でもあり、イタリアで1番大きな街である。

 

ローマを舞台にしたオペラはモーツァルトの「皇帝ティトの慈悲」やドニゼッティの「ドン・パスクアーレ」など無数にあるが、やはり1番有名なのはプッチーニの「トスカ」であろう。舞台は今から200年以上も前の1800年であるが、全幕を通じてすべてが実在の場所となっている。1幕はサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会、第2幕はファルネーゼ宮殿、そして第3幕はトスカがテヴァレ川に身を投げるサンタンジェロ城。そのほかオ−ケストラ作品では、ローマ3部作といわれるレスピーギの交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」もローマの実在の場所や祭りを描いた作品。





 

ローマ歌劇場の歴史は、他の名門劇場に比べると新しい。1880年にロッシーニのオペラ・セリア「セミラーミデ」で開場。当時の名前はオーナーの名前を取ってコスタンツィ劇場と呼ばれた。1888年楽譜出版社のソンゾーニョ社が劇場を買い取り、1幕オペラのコンクールを開催した。その第2(1890)に優勝した作品が、マスカーニの傑作「カヴァレリア・ルスティカーナ」である。このオペラはヴェリズモ(現実主義、写実主義)の代表的な作品と言われ、その後もオペラ座ではヴェリズモ・オペラが数多く取り上げられた。そして、もっとも初演作品として最も有名なオペラもやはり前述の「トスカ」で、1900114日に初演され、大成功を収めた。1928年からは王立オペラ座と名称が変わり、その後、単にローマ歌劇場と呼ばれるようになった。




 

オペラ界最大のスキャンダルとも言われるマリア・カラスの事件が起こったのもここの劇場である。195812日、全盛期を迎えていた彼女は、もっとも得意とする「ノルマ」を大統領隣席のもと歌うことになった。しかし、のどが炎症を起こしていた彼女は1幕の途中で声が出なくなってしまい、2幕以降をキャンセルすることになる。しかし、前夜、前々夜に夜中まで新年の祝賀会などで踊ったり歌ったりしていたことを知っていた観客は激怒し、「ミラノへ帰れ!」と叫び、カラスはようやく逃げ出したのである。「ミラノへ帰れ!」とは当時、彼女はスカラ座のプリマドンナとして世界中に知られていたからだが、もちろん北に対する対抗心も大きかったのであろう。のちに彼女は劇場を訴え、損害賠償金を勝ち取った。しかし、このことが原因で彼女はスカラ座を始めイタリア中の歌劇場から締め出せれ、払った代償はあまりに大きかった。そして、この事件を境に彼女の歌手生命は坂道を転げ落ちていったのである。




 

劇場は馬蹄形で、プラテア(平土間)の上に4層のロジェ(ボックス席)、さらにその上に広い1層のガレリア(天井桟敷)という造り。ワインレッドに金箔が良く映えている。天井の美しいフレスコ画はブルニョーリの作品で、音響も良いが、外観は何だかそっけないようなシンプルな造りである。

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第25回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第25回

 

 

第10章  チュ−リッヒ歌劇場

 

 




スイス最大の都市チューリッヒはドイツ語圏に属し、リマト川沿いの教会やローマ後期の城壁跡リンデンホフなど、歴史と文化の街として知られている。
チュ−リッヒ歌劇場(現地ではオペルンハウスと呼ぶ)は中央駅から市電で10分ほどの所にある、ネオバロック調の豪華な劇場で、1891年の完成当時の様式を残す、シューボックス式の客席に、約1200人を収容中規模の劇場である。チューリッヒ湖にも近く、夏場などは休憩時間にはバルコニーから素晴らしい湖の夜景を楽しむことができる。

 





1980年代に大改装を終えた数年前に改装された舞台装置を活用し、9月初頭から7月中旬まで、ほぼ毎日公演があり、毎年10演目以上の新制作を行っている。この劇場を一躍有名にしたのが、1980年代にニコラウス・ア−ノンク−ルらにより上演された一連のモンテヴェルディ・シリ−ズであり、これが後のバロック・オペラ・ルネサンスにつながっている。1995年からはフランツ・ウェルザ−=メストが首席指揮者(後に音楽総監督)に就任し、
以降急速に存在感を増し、現在ではドイツ圏でも重要な歌劇場のひとつと言われている。2008年には待望の初来日公演を行った。2012年からはファビオ・ルイ−ジが後任の予定。

 

カサロヴァ、バルトリ、ハンプソン、ヌッチ、バルツァ、フレミング、フェリットリ、マイヤ−、ライモンディ、サルミネン、ザイフェルト、シコフなど、世界第一級の歌手も出演する、ヨーロッパ有数の歌劇場である。

 

 

 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第24回
 

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第24回

 

 

第9章  バーデンバーデン祝祭劇場(フェストシュピールハウス)

 

 





19世紀から高級リゾート地として栄えているバーデンバーデンには、ヨーロッパ各地から毎年たくさんの人々が、有名な温泉を楽しみに、そしてなによりも休暇を過ごしに来る。そのような街では夜の娯楽が重要であり、その需要を満たす意味も込めて、1998年にオープンしたのがこのフェストシュピールハウスであり、この街に逗留する旅行者のエンターテイメントの中心として確固たる地位を占めている。

 





正面のネオクラシック・スタイルの内装も豪華な建物はゴージャスで、オペラや演奏会の雰囲気たっぷりである。これは元々は駅舎として利用されていたものを移築して現在の場所に持ってきたもので、駅舎としての名残を感ずる箇所がいくつもある。たとえばボックスオフィスは、駅の出札窓口をそのまま使っているので、窓口の上には今でも「乗車券」と書いているけれど、ここではコンサ−トのチケットは扱っているが、電車の切符までは扱ってはいない。

 





実際の劇場の建物は駅舎の後ろに併設されており、ホールの客席は約2500席、パリのバスティーユに続いてヨーロッパで2番目に大きい歌劇場である。大きさだけでなく、数面の舞台や多彩な釣り物など、劇場としての最新設備も完備されており、コンサ−トだけでなく、オペラやバレエもたびたび上演されている。バーデンバーデンは過去にもロシアの王族の保養地であったことから、ロシアと縁が深く、ザンクト・ペテルブルグのマイリンスキー劇場が頻繁にここで公演をしており、マリンスキ−劇場バレエ団やマリンスキ−劇場のオペラの引っ越し公演などを実現させている。また1993年以来、カラヤン聖霊降臨祭音楽祭の会場として、クラシック界のスター達の名演の舞台となっているほか、アンネ・ソフィー・ムター、ダニエル・バレンボイム、ケント・ナガノ、プラシド・ドミンゴ、ジェームス・レヴィン、トーマス・ハンプソンなど世界的に有名な数多くの音楽家たちが登場する。現在はクリスティアン・ティ−レマンが主導するオペラ・プロジェクトが毎年行われており、さらに脚光を浴びている。

 

 

 

 

 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第23回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第23回

 

 

第8章  バイロイト祝祭劇場

 

 





作曲家ワーグナーが長年温め続けていた劇場を、自身が計画、設計、建設し、ワーグナーの作品だけが上演される特別の劇場が、バイロイトの祝祭劇場である。バイエルン王ル−トヴィヒ2世の後援を得て1872年に着工、1876年に完成した。こけら落とし上演は『ニ−ベルングの指輪』。

 

美しい公園の先の丘の上にあり、別名「緑の丘」とも呼ばれてもいる。毎年夏に開かれる音楽祭の初日には、ドイツ内外から有名人が招かれ、まるでアカデミー賞授賞式かミラノ・スカラ座のオ−プニングの様に賑わう。しかしながら、建物自体は音楽第一主義で、装飾はとても質素。2000を越える客席の椅子は詰め物のない硬い木製で、ベンチの様に硬く、黒に塗られている。これによって各客席を含めた全体が共鳴板として働き、しばしばヴァイオリンの胴体に例えられる特異な音響空間を作り出している。しかしながら、長いワーグナーのオペラには適さない。そのため、華やかに着飾った人々の殆んどが、服装には不似合いなクッションを持ち込んで聴くこととなる。

 






バイロイト祝祭劇場はワーグナーの楽劇理論の結集であり、その古代ギリシャ演劇研究に大きく影響を受けている。プロセニアム・ア−チによって客席と舞台が隔てられる点では従来のオペラハウスと同じであるが、観客席はギリシャの円形劇場を模した高いせり上がりに沿って配され、19世紀までは普通だった観客席や舞台袖の彫刻やシャンデリア、装飾的な椅子等を廃し、木造の観客席一面を黒く塗っている。

 

ワ−グナ−はさらに、観客を舞台に集中させるためにオ−ケストラ・ピットを舞台下に設けた構造(「神秘の奈落」と呼ばれる)は他に類を見ない。またオーケストラピットに蓋がされていて、オーケストラの大音響にも歌手の声が消されないので、ワーグナーの上演に関しては、世界で最高の音響と言われている。反面、オーケストラや指揮者からは客席が全く見えない。現在は映像機器により客席や舞台袖がモニター可能であるが、奏者からはしばしば演奏しにくいと言う人もいる。

 

客席からは完全にピットが見えないので、指揮者も含めてオーケストラは、ここでは燕尾服ではなく、普通の服で演奏することができる(夏のバイロイトは非常に暑く、空調設備の整っていない劇場内、特にピットの中は蒸し風呂状態であり、楽団員はみなTシャツやポロシャツで演奏する)。

 

歌劇場自体は質素でも、その周りには休憩時間には大賑わいのレストランや、リハーサル室、舞台装置の製作スタジオなど、複数の建物が建設されている。オーケストラピットから別棟のカフェテリアに続く通路には、リヒター以来の歴代の指揮者の写真が飾ってあり、音楽祭の伝統を物語っている。しかしながら、オーケストラは指名手配の写真の連想して、「犯罪者のギャラリー」というあだ名で呼んでいるのだ。

 

1951年の戦後の再開場以来、ヴィ−ラントとウォルフガングのワ−グナ−のふたりの孫によって運営されてきたが、ヴィ−ラントの急逝の後はウォルフガングによる単独の運営が長期にわたって続けられてきた。その間にはワ−グナ−家の骨肉の争い(まるで『ニ−ベルングの指輪』を地で行くような)が繰り広げられていた。しかし2009年からバイロイト音楽祭はウォルフガングが引退し、新たにカタリーナとエファのふたりのウォルフガングの娘による2頭体制になり、新しい組織になった。時代に相応した新しいバイロイト音楽祭はインターネット中継、現地でのライブ・ビューイングなど、これまでにない動きを見せ伝統におぼれない展開を開始している。

 


ウォルフガングと前妻の娘、エファ 





ウォルフガングと後妻の娘、カタリ−ナ 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第22回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第22回

 

第7章  ザルツブルクと音楽祭とオペラハウス(その3)

 




 

音楽祭は毎年7月下旬から8月末まで(今年は7月25日から8月30日まで)の約40日間の期間中に、演劇・オペラ・コンサートなど約150の公演で約20万人を超える観客を動員しており、現在も世界有数の大規模な音楽祭として開催されている。なお、日本では「ザルツブルク音楽祭」としているが、厳密には音楽分野と同等に演劇分野も行われており、正確には「ザルツブルク祝祭」と呼ぶのが正しい。



祝祭大劇場


 

音楽主会場は祝祭大劇場が、音楽祭創設40年の年である1960年にホルツマイスタ−の設計により完成した(だから今年が祝祭大劇場ができて50年目に当たる)。当初旧市街で大劇場を建築するための土地探しは難航したが、結局メンヒスベルクの岩盤を55,000m³ もくり抜いて建築された。ステージの大きさは世界最大級で、幅は100メートル、高さ32メ−トル、奥行きは25メートルもある。座席数2179席。カラヤン指揮の「ばらの騎士」で柿落としをした。オペラ・コンサ−トなどに使用している。入り口はホーフスタールガッセに面しており、モ−ツァルト・ハウスやフェルゼンライトシューレと並んでいる。




モ−ツァルト・ハウス



 

2006年に全面改装されたモ−ツァルト・ハウスは1925年にホルツマイスタ−により大司教の厩舎(冬の馬屋)を改装して完成。祝祭劇場として使用していた。1960年の現祝祭大劇場会場を機に改築され、1963年改築、以後祝祭小劇場として使用される。座席数1323席、立席60を有していたが、音響がよくないとの声が多数あったため、モ−ツァルト・イヤ−の2006年に再改築し、以後現在の名称となっている。現在の座席数1495席、立席85となっている。間口14mで、これはウィ−ン国立歌劇場と同じである。これは以前(戦前といってもいいのだが)、ウィ−ン国立歌劇場のプロダクションを夏にザルツブルクに持ってきて上演していたためで、戦後もそのようなプロダクションがあった(最近では2003年のコルンゴルドの「死の都」など)。



フェルゼンライトシュ−レ


 

17世紀はじめ大司教の厩舎(夏の馬屋)と馬術学校として建てられたものを1925年に改装してホ−ルとして使用しているフェルゼンライトシューレ(1493席)は、自然の岩山を背景にしている。現在舞台を取り囲んでいる三層に重なった96のアーチからなる岩盤は、馬術学校当時の観客席である。1933年にはクレメンス・ホルツァーによる「ファウスト」や1948年にはカラヤンがグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」を上演するなど、伝説のプロダクションによりフェルゼンライトシューレは一躍有名になった。しかしながら、屋外の劇場であり残響は少なく音楽にはあまり適していなかったため、祝祭大劇場の新設、旧祝祭小劇場(現モ−ツァルト・ハウス)の改装後の1970年にホルツマイスターによる改修が行われ、40mの幅の舞台、舞台下に4mの空間が確保された。また懸案であった雨を防ぐための可動式の屋根が作られた。また、映画「サウンド・オブ・ミュ−ジック」の際に、トラップ一家の合唱コンク−ルの会場としてロケが行われた。




モ−ツァルテウム大ホ−ル


 

ほかにモーツァルテウム大ホール(807席、1914年完成、普段はモーツァルテウム管弦楽団ヤ、カメラ−タ・ザルツブルクの本拠地。大ホールの脇のホワイエを通って庭に出ると、ウィ−ンから移築されたモ−ツァルトが『魔笛』を作曲した作曲小屋や、有名なミラベル庭園の景色を楽しむことが出来る)。演劇は州立劇場(732席、1893年完成)。それに創始者のひとりホフマンスタ−ルの「イェ−ダ−マン」を上演するド−ム広場(仮設の会場)などがある。「本当に芸術的良心にかなったオペラ上演の唯一のチャンスを提供しているのがザルツブルクである」とカラヤンが言っているとおり、現在もその精神が受け継がれている。オペラではモーツァルトの「フィガロ」が最も上演回数の多く、シュトラウスの「ばらの騎士」が2番目に多い演目である。

 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第21回
 

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第21回

 

第7章  ザルツブルクと音楽祭とオペラハウス(その2)

 

 

世界一の音楽祭、ザルツブルク音楽祭




華やいだ雰囲気のザルツブルク音楽祭

ヨーロッパのオペラハウスのシーズンは通常、秋から始まって冬、春となっており、夏の間はお休みとなる。その代わり、夏のシーズンは音楽祭という形で、真夏の夜の夢のような素晴らしい公演が繰り広げられる。

何と言っても世界一の音楽祭といえば、質でも量でも歴史でもザルツブルク音楽祭であろう。ザルツブルクといえば、モーツァルト、カラヤンらが生まれた町、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として知られるが、オーストリアの地方都市で山間の小さな町。それが、夏の音楽祭の期間は、世界中の王室、政治家、映画俳優など特上のセレブの音楽ファンが集う社交場と化す。そして、アーティストたちもレギュラーオーケストラのウィーン・フィルや、スター歌手たち、超一流の音楽家が連日連夜夢のようなオペラ、コンサートに出演する。

 



休憩中のカ−ル・ベ−ム・ザ−ル


ザルツブルク音楽祭は、1842年モーツァルト像の建立を記念して、ザルツブルクで初めての音楽祭である「モーツァルト音楽祭」が催され、次いで1852年には建立10周年記念音楽祭、さらに1856年にはモーツァルト生誕100年記念音楽祭が催された。1877年バイロイト音楽祭が始まったが、その翌年に始まった本格的な音楽祭 Salzburger Musikfest が、今日のいわゆる「ザルツブルク音楽祭」 Salzburger Festspieleの前身である。

1917年、演出家マックス・ラインハルトの提唱で準備委員会であるザルツブルク祝祭劇場協会が発足し、作曲家リヒャルト・シュトラウス、指揮者フランツ・シャルク、劇作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール、舞台装置家アルフレート・ロラー等が芸術顧問になり、1920年8月22日大聖堂前広場でホーフマンスタールの「イェーダーマン」(ラインハルト演出)が初演され、「ザルツブルク音楽祭」(日本では長年「ザルツブルク音楽祭」としているが、むしろ「ザルツブルク祝祭」とした方が正しい)が開幕した。




休憩中の祝祭劇場前
 

1921年音楽の演目が追加され、初めて演奏会が、翌1922年にはオペラ公演が行われ、「ドン・ジョヴァンニ」などモーツァルトの4つのオペラが上演された(演奏はウィーン・フィルが担当、後にオペラ公演で忙しいウィーン・フィルに代わってベルリン・フィルなど他のオーケストラも音楽祭に参加するようになる)。1925年祝祭劇場が落成(現在のモ−ツァルト・ハウス、旧祝祭小劇場)、ワルターが指揮者として加わりオペラの演目も年々増加する(ワーグナーやヴェルディなど)。そして1934年にはトスカニーニが加わり戦前の黄金期となる。しかし1938年、オーストリアはナチス・ドイツに併合され、反ナチ(トスカニーニ)やユダヤ系(ラインハルトやワルター)の芸術家は一掃されてしまうこととなる。

 



戦後のザルツブルクをけん引した『帝王』カラヤン


大戦後は逆に戦時中に活躍した芸術家が活動停止処分を受け、街も空爆で破壊されていたにもかかわらず、1945年8月12日音楽祭は開催された。1947年にはフルトヴェングラー、ベーム、クレンペラーが活動を再開し、50年代にはフルトヴェングラー支配下で(54年まで)、再び黄金時代を迎える。1957年にカラヤンが芸術監督として復帰、1960年には祝祭大劇場の完成により新時代が始まることとなる。その当時ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ベルリン・フィルに君臨し、音楽界の「帝王」と呼ばれていたカラヤンは大劇場をフルに活用し、コンサートばかりでなく、オペラも精力的にこなし(多くの作品で演出も自ら手がけた)、ザルツブルクでも確固たる地位を確立させた。一方ベームは、1963年に改築された祝祭小劇場を主な活躍の場に、モーツァルトやR.シュトラウスの作品を指揮し、多大な功績を残すこととなる。

今年は祝祭大劇場開場50周年の節目の年である。

 

 

 1960年の祝祭大劇場のこけら落としの作品、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」



来週から当分の間、またもやこの連載を休載させていただきます。再開は8月16日(月)からとなります。なにとぞご了承ください

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