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今日はウォルフガング・サヴァリッシュの90回目の誕生日

今日はウォルフガング・サヴァリッシュの90回目の誕生日

 




今日は今年2月22日に亡くなった、ウォルフガング・サヴァリッシュの90回目の誕生日だ。

 

サヴァリッシュは1923年の今日、ドイツ・バイエルン州のミュンヘンに生まれ、幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事。1947年にアウグスブルク市立歌劇場でフンパ−ディングのオペラ「ヘンゼルとグレ−テル」を指揮しデビュ−。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。1949年にはピアニストとして、ジュネ−ブ国際音楽コンク−ルの二重奏部門で1位なしの2位を得る。以後指揮者とピアニスト(主に歌曲の伴奏者として活躍)を並立させる。1953年にはア−ヘン、1958年にはヴィスバ−デン、1960年にはケルンの音楽総監督を歴任。1957年にはバイロイト音楽祭デビュ−(33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録)を果す。歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィ−ン交響楽団、ハンブルク・フィル、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。1971年からは故郷、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽監督(1982年から92年は音楽総監督)に就任。1983年にはワ−グナ−の主要作品を、1988年にはリヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ム−ティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督(2002年まで)に就任。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、2006年3月に病気の悪化を理由にその後のすべてのコンサ−トのスケジュ−ルをキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。ミラノスカラ座からトスカニーニバトン、ベルリンフィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。

 





日本には1964年11月にNHK交響楽団の招きにより初来日。以来ほぼ毎年のように来日。以降N響への客演のほか、バイエルン州立歌劇場(1974年、1988年、1992年)やフィラデルフィア管弦楽団(1993年、1999年)との来日公演を行い、日本でもなじみ深い巨匠のひとりである。1967年からはN響名誉指揮者。現在は、同楽団桂冠名誉指揮者。N響とは定期公演のほか海外公演や二期会との共同制作によるオペラ上演などでも大いに活躍。また、N響の節目の演奏会には必ず登場し、1970年のベ−ト−ヴェン生誕200年のツィクルスや1973年のNHKホ−ルの杮落とし公演、1986年のN響の第1000回定期公演と、2001年の創立75周年記念公演(ともにメンデルスゾ−ンのオラトリオ「エリヤ」)などに出演。日本への最後の来日は2004年のN響の定期演奏会の指揮だった。

 

ウォルフガング・サヴァリッシュというと、堅実な指揮ぶりで、全然面白くないという風に評されることがあるが、彼の貴重な音楽遍歴などを考えると、そのような評価は値しない。むしろ『偉大な指揮者』である。往年の巨匠、カ−ル・ベ−ム亡き後のドイツ、オ−ストリアの至宝といっても過言ではないし、実際にベ−ムはそのような趣旨の発言をしている。筆者にとってカ−ル・ベ−ムが『音楽上の神』的存在であれば、『マエストロ』サヴァリッシュはさしずめ、『音楽上の教皇』的存在なのだ。『マエストロ』サヴァリッシュの果たした功績は今でも大きいのだ。

 

 

 

 
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