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短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第11回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第11回)

 

 

第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その4 ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲) Op.20

 




日本政府の委嘱により
作曲されたが、この曲名が、「日本の紀元2600年を祝う場にふさわしくない」とし、「皇室の祝賀にキリスト教典礼の、しかもレクイエムとはもってのほか」として、イギリスは日本大使館から抗議を受け、ブリテンの名は消え、作品は演奏されなかった。日・独・伊三国同盟によりイギリスが敵性国家になったというのも原因の一因とみていい。また、ただ単に楽譜の準備が間に合わなかったので、こじつけをつけて演奏しなかったという説もある。しかし委嘱料の支払いは約束通り7,000円(今の価値で約1,000万円)行なわれており、楽譜の「返却」は行われていない。

 

なお、ブリテンの作品に関しては、従来から「レクイエム」の名を冠したことなどについて様々なことが言われてきているが、この曲の成立にはブリテンの個人事情も絡んでおり、事情は複雑である。当時、ブリテンは個人的な事情により盟友ピ−タ−・ピア−ズと共にアメリカに引っ越す。その直後に第二次世界大戦が勃発、イギリスも参戦し、かねてから兵役拒否者だったブリテンは帰る場所を失ってしまった。次第に生活費に困るようになり、またアメリカが好戦的になっていく姿にブリテンは絶望するようになった。そんな際、知人の出版業者ラルフ・ホークスらが、『日本が皇紀2600年奉祝曲の作品を各国作曲家に委嘱している』という話を持ちかけ、金銭に乏しかったブリテンはその委嘱に乗ることとなった。

当初はほかの曲をと思っていたが、なかなか作曲の筆が進まず、仕方なしに「両親の思い出に捧げた」この曲を送ることにした。しかしながら何人かの友人が「その題名は日本政府を誤解させる可能性がある」と忠告した(まさにその懸念が現実となったのではあるが)ようである。

 

曲は翌1941年3月30日にジョン・バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団により初演。そして日本初演は1956年2月18日に作曲者ブリテン自身の指揮により、NHK交響楽団で行なわれた。

 

曲は次の3楽章に分かれている。

第1楽章 涙のその日 Lacrymosa (Andante ben misurato)

第2楽章 怒りの日 Dies Irae (Allegro con fuoco)

第3楽章 久遠なる平安を Requiem Aeternam (Andante molto tranquillo)

 

各楽章のタイトルは、ロ−マ・カトリック教会の『死者のためのミサ(レクイエム)』の一節から取られているが、直接に葬儀に関連しているわけではない。ブリテンはそれぞれの楽章を、「緩やかな、行進風の哀歌」、「“死の踊り”の形式」、「最後の解決」と呼んでいた。演奏時間約20分。

 

 

 

 

 
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