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エステート劇場



プラハには重要なオペラハウスが3つある。1つ目は『国立オペラ劇場』といい、ビロード革命前には『スメタナ劇場』と呼ばれていた劇場で、1888年にワ−グナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で開場し、現在では、外国のオペラを中心に上演している。2つ目は、以前は『国立劇場』と呼ばれていた『国民劇場』で、モルダウ(ヴルタヴァ)川沿いにそびえ建ち、1881年にチェコ国民がオペラの自国語上演を熱望して建てられた劇場で、母国の英雄スメタナの『リブ−シェ』でオープンした。しかし、その2ヶ月後炎上してしまったため、超特急で工事が進められ、1883年に同じく『リブ−シェ』でにて再開場した。現在でもスメタナやドヴォルジャーク等、自国の作曲家を中心に上演されている。そして3つ目がエステ−ト(スタヴォフスケー)劇場である。開場は1783年と他の劇場よりも100年も歴史が古く、世界中のオペラハウスの中でも、現存するものとしては最古の劇場のひとつで、1786年、モーツァルトにより『フィガロの結婚』を指揮し、1787年10月29日には、『ドン・ジョヴァンニ』がここエステート劇場で初演された。

 




モーツァルトが自身の作品を指揮した劇場で唯一現存するのが、ここエステート劇場でもあり、モーツァルト・ファンには見逃せない場所だ。また1791年には彼の最後のオペラ『皇帝ティトの慈悲』も初演された。開場当初は『国民劇場』と呼ばれていたが、1799年にボヘミア貴族(チェコ語でスタヴォヴェー)に売り渡され、その際にスタヴォフスケー劇場と改名された。その後、ドイツ語のオペラ中心になったり、チェコ語のオペラ中心になったりしたが、第2次世界大戦後、19世紀の劇場監督ヨーゼフ・カイェタン・ティルにちなんで『ティル劇場』と名前が変更。そして、8年もの長い改修工事ののち、1989年のビロード革命後、劇場の再開場と同時に再び『スタヴォフスケー劇場』へと名前が戻った。現在は国民劇場と同じ組織で運営され、840席ほどの小さな劇場ではあるが、モーツァルトの作品が中心に上演されている。劇場内部の装飾は見事で、いかにしてヨーロッパ音楽がはぐくまれてきたかを体験できるというもの。また映画「アマデウス」の撮影に使用されたところでもある。

 




入り口は、これがオペラ劇場なの? と思わせるほど小さいが、とても美しい劇場である。客席は左右の幅の狭い馬蹄形で、うすい緑と青の品のいい壁に金箔の装飾が施され、天井には、カメオ風の大理石が8つほど埋め込んであり、古き良き時代の劇場にタイムスリップしたようなような錯覚を感じさせる雰囲気だ。座席は、パルテレ(平土間)の上に3層のバルコン(ボックス席)、その上に2層のガレリ−(天井桟敷)となっていて、小さな劇場なので天井が高く感じられる。当日はこけら落としでも上演された『フィガロの結婚』だったが、正装の観客は少なく、セミフォーマルな服装やカジュアルな服装が目立ちものの、演出に対しても歌手に対しても、とても暖かく、ある意味アットホームな感じのする劇場である。舞台上にはチェコ語と英語の字幕が出ている。

 

 

 

 
| 社長の海外出張日記 | 08:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
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