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短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第12回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第12回)

 

 



第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その1)

 

1933年、ヒトラ−率いるナチス党が合法的に政権を掌握し、ドイツは『暗黒の時代』へとまっしぐらに突き進んでゆくことを、その当時どのくらいのドイツ国民が気づいていたのであろうか。まさに『真綿で首を絞められた』ような悪夢の時期だったといえるだろう。ナチスは国家社会主義に基づき、音楽を振興するとともに、知識人や音楽家たちの抑圧と同一化を目指すため、帝国音楽院を創設し、その総裁にリヒャルト・シュトラウスを(副総裁には指揮者のウィルヘルム・フルトヴェングラ−)を任命した。シュトラウスはユダヤ人の血統を持つ息子の妻と孫たちを守るためにその地位を受け入れ、自分の家族を守るためにナチスと良好な関係を維持せねばならなかった。これには帝国音楽院を管轄する宣伝相ゲッペルスの狡猾な脅しによるところが大きかった。

 

しかしながらナチスにとってすぐに都合の悪いことが起こった。それは最新作の歌劇『無口な女』の台本を担当したユダヤ人のシュテファン・ツヴァイクとシュトラウスとの盟友関係であり、ナチスから『無口な女』の初演ポスタ−からツヴァイクの名を外すように迫られたが、シュトラウスはこれを拒否し、ツヴァイクの名前のクレジットを守った。そのことで初演に出席予定だったヒトラ−は出席を取りやめ、結局この歌劇は3回の上演の後に公演禁止という憂き目にあった。また彼は多くのユダヤ人の友人や同僚達を保護しようとしたために、ナチスにとってシュトラウスは疎ましい存在、要するに『目の上のたんこぶ』みたいな存在となっていたのであった。そのシュトラウスに劇的な変化が訪れる。1935年6月17日にツヴァイクあての書簡をゲシュタポが開封し、その中にナチス批判のくだりがあることが判明。シュトラウスは翌月、帝国音楽院総裁職を辞任に追い込まれることとなる。

 

ただこれで『肩の荷が下りた』シュトラウスは、公的な活動から身を引き、ガルミッシュの自宅へと戻り、家族と暮らした。半ば隠居状態のように。そしてなんの足かせもなく作曲活動に没頭する日々を送ることとなった。毎日が規則正しく、午前中は9時には書斎に入り、昨日の続きから作曲を。午後はくつろぎ、時々孫たちと一緒に戯れたり、散歩をしたりして。そして夜は下書きした曲の清書といった具合に・・・。

 

 

 
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