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短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第13回)

短期集中連載:皇紀2600年とクラシック音楽の知られざる関係(第13回)

 

 



第4章 委嘱された『奉祝曲』

 

その5 リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典曲(その2)

 

1936年、ナチス・ドイツ最大の祭典として、国の内外にその威厳を知らしめたベルリン・オリンピックの開会式に、彼の作曲した(しかも無報酬で!)『オリンピック賛歌』(現在、オリンピックの開閉会式の際に歌われている同名のものとは別の曲で、当時は大会ごとに作曲していた)を指揮させられたのもゲッペルスの指示(というより半ば恐喝)である。それでもオリンピックの仕事が終わると、ガルミッシュの自宅へと戻り、再び公の舞台から姿を消した。

 

1938年になるとナチスはオ−ストリアに進駐して併合してしまう。ウィ−ンに一族を残しているシュトラウスのひとり息子フランツの嫁であり、自らの秘書的な立場でもあるユダヤ系のアリスにとってはますます困難な状況になった。そしてそれは彼女の二人の息子(言い換えればシュトラウスの孫)たちも同じだった。

 

そんな時、またしても『ドイツ音楽界の巨星』シュトラウスをナチスが担ぎ出す場面がやって来た。それが『日本の天皇のための祝典曲』の作曲だった。ゲッベルス宣伝相は、日本の依嘱をドイツの最も有名な作曲家であるリヒャルト・シュトラウスに割り振ったのであった。当時75歳のシュトラウスは、どうも余り気乗りせず、かと言って依頼を断ればナチスに目を着けられるのは間違いないので、ゲッベルスとある意味の「取り引き」を行ったのだ。それは義理の娘アリスとその息子たちの命を保証する代わりに『日本の天皇のための祝典曲』の作曲を渋々承諾したのであった。

 

 

 

 

 
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