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クラシック専門 音楽マネジメント
2014.01.23 Thursday
クラウディオ・アバドを悼む
クラウディオ・アバドを悼む
筆者が初めてアバドの演奏を聴いた(もちろん実演で!)のは、1989年秋のウィーン国立歌劇場の来日公演で、この時はロッシーニの「ランスへの旅」とベルクの「ヴォツェック」を、ウィ−ン・フィルの演奏会では2公演(メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」がメインのプログラムと、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」がメインのプログラム)だった。特に記憶に残っているのは、「ランスへの旅」と「ヴォツェック」であった。
「ヴォツェック」では、まさに戦慄の名演、いや曝演といった方が当たっている。100分余りの時間が緊張感がみなぎるもので、しかもあんなに鋭くも美しいオーケストラのサウンドが、あのバカデカいNHKホ−ルを満たしたことは、後にも先にもないほどだ。ちょうど筆者が聴いた日(11月12日)は、その日のお昼にサントリ−ホ−ルで、カラヤン追悼セレモニ−が行われた日で、当夜にはカラヤン未亡人のエリエッテもご臨席で、しかもこの直前にカラヤンの後任としてベルリン・フィルの芸術監督に指名を受けるという、アバドにとって『人生最良の時』を迎えていたのだった。大げさではなく、この日の演奏は一生の思い出のひとつと言っても過言でない。 「ランスへの旅」と「ヴォツェック」、作曲年代も題材もまったく異質な作品――理屈抜きのエンタテイメント作品と、社会的シリアス作品――であったにもかかわらず、我々日本の聴衆を楽しませてくれたのが筆者の『アバド初体験』であった。
2000年夏、彼は胃ガンの緊急手術を受けた。すでにその年の秋に来日公演がクレジットされていたから、来日さえも危ぶまれたのだが、しかし驚異的な回復で10月には指揮台に復帰した。そして翌月、執念にも似た感じで来日を果たした。ベルリン・フィルを指揮して、日本で初めて彼らをピットの中に入れての「トリスタンとイゾルデ」を振るために。しかしながら噂では、日本到着直後に体調不良に襲われ、緊急入院をしたとか、しなかったとか。とにかく病身をおして公演を実現、その演奏はまさに神がかり的と言っていいほどのもので、『アバドのワ−グナ−』は、ワグネリアン的な陶酔とはほど遠い繊細で室内楽的な演奏に多少の物足りなさを感じていた筆者はその公演を聴かず仕舞いにしたことを後から後悔したものだった。
その後10年以上に渡って壮健な活動を展開し続けたアバド、その突然の訃報に驚きつつも、彼の名演の数々は、我々の記憶に刻み込まれ、いつまでも忘れられないものとなっている。 コメント
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