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クラウディオ・アバドを悼む

クラウディオ・アバドを悼む

 




イタリアの指揮者で、元ウィーン国立歌劇場音楽監督、前ベルリンフィルハーモニー管弦楽団芸術監督を務めた、クラウディオ・アバドが1月20日、イタリア北部のボロ−ニャの自宅で80歳の生涯を閉じた。昨年8月末からのルツェルン音楽祭での演奏(シュ−ベルトの「未完成交響曲」と、ブルックナーの交響曲第9番)は、上首尾に終わったものの体調の悪さもうかがわせていたということで、昨年秋に来日予定だったルツェルン祝祭管弦楽団とのツア−は、体調不良によりキャンセル、さらに12月にもウィ−ン楽友協会で予定されていたモ−ツァルト管弦楽団とのコンサ−トをキャンセルしたことから、体調を心配していたのだが、このような結果になってしまった。私にとっての「アバド」という指揮者は、クライバーのように骨の髄まで心酔するというところまでには、ついに最後まで至らなかったのだが、それでもいくつかの名演に出くわしたのは確かだ。

 

筆者が初めてアバドの演奏を聴いた(もちろん実演で!)のは、1989年秋のウィーン国立歌劇場の来日公演で、この時はロッシーニの「ランスへの旅」とベルクの「ヴォツェック」を、ウィ−ン・フィルの演奏会では2公演(メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」がメインのプログラムと、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」がメインのプログラム)だった。特に記憶に残っているのは、「ランスへの旅」と「ヴォツェック」であった。

 




「ランスへの旅」は、カバリエ、ガスディア、クベルリ、ヴァレンテーニ=テラーニ、ロパルド、マテウッツィ、ライモンディ、フルラネット、ダーラ、ブルチュラーゼという信じられないほどの豪華メンバーがずらりと並んで素晴らしい歌と演技を披露してくれる上に、楽しくて、きれいで、洗練されてて、ピットからはまさに極上の音楽が響き渡ったのを今でも昨日のことのように思い出す。バカバカしいほどのストーリーながらドタバタになるどころか、どこまでも洗練されたエレガントな音楽が筆者の五感を快く刺激し、それに加えてルカ・ロンコーニの演出も最高に面白かったのだ。「これこそロッシ−ニの神髄だ!」と思ったものだ。

 

「ヴォツェック」では、まさに戦慄の名演、いや曝演といった方が当たっている。100分余りの時間が緊張感がみなぎるもので、しかもあんなに鋭くも美しいオーケストラのサウンドが、あのバカデカいNHKホ−ルを満たしたことは、後にも先にもないほどだ。ちょうど筆者が聴いた日(11月12日)は、その日のお昼にサントリ−ホ−ルで、カラヤン追悼セレモニ−が行われた日で、当夜にはカラヤン未亡人のエリエッテもご臨席で、しかもこの直前にカラヤンの後任としてベルリン・フィルの芸術監督に指名を受けるという、アバドにとって『人生最良の時』を迎えていたのだった。大げさではなく、この日の演奏は一生の思い出のひとつと言っても過言でない。

 

「ランスへの旅」と「ヴォツェック」、作曲年代も題材もまったく異質な作品――理屈抜きのエンタテイメント作品と、社会的シリアス作品――であったにもかかわらず、我々日本の聴衆を楽しませてくれたのが筆者の『アバド初体験』であった。

 




その後、1991年にウィ−ンで接したドビュッシ−の「ペレアスとメリザンド」(「ヴォツェック」とは違うものの、鋭くも美しいオーケストラのサウンドが印象的だ!)や、ジョナサン・ミラー演出の巨大な回り舞台が活躍するといった、モ−ツァルトの「フィガロの結婚」(1994年の来日公演)など、筆者にとってアバドはやはりオペラ指揮者であったと言える。それほどまでにこの瞬間にもあれやこれやの時間が蘇ってくる、しかしながら、また故人を貶めるつもりは全くないのだが、筆者は最後まで好きになれない指揮者だったのも間違いない事実なのだ。

 

2000年夏、彼は胃ガンの緊急手術を受けた。すでにその年の秋に来日公演がクレジットされていたから、来日さえも危ぶまれたのだが、しかし驚異的な回復で10月には指揮台に復帰した。そして翌月、執念にも似た感じで来日を果たした。ベルリン・フィルを指揮して、日本で初めて彼らをピットの中に入れての「トリスタンとイゾルデ」を振るために。しかしながら噂では、日本到着直後に体調不良に襲われ、緊急入院をしたとか、しなかったとか。とにかく病身をおして公演を実現、その演奏はまさに神がかり的と言っていいほどのもので、『アバドのワ−グナ−』は、ワグネリアン的な陶酔とはほど遠い繊細で室内楽的な演奏に多少の物足りなさを感じていた筆者はその公演を聴かず仕舞いにしたことを後から後悔したものだった。

 




そして翌2001年1月のベルリンでの『ヴェルディ没後100年記念コンサート』、ヴェルディの「レクイエム」は当時NHK・BSで生中継され(これも逸話があって、27日の中継の日の公演がキャンセルされた時は、25日の公演の模様を流すことにしていたとか・・・)、その演奏は、アバドの理想に向けてひたむきに演奏していて、ソリスト・合唱のすばらしさもあって、文句の付けようがない名演となった。地味目に、聴き手の内面を揺さぶる音楽作りはまさにアバド入魂のレクイエム!オケはともかく、この曲でこんなに合唱の水準が高い演奏は他にないだろう。スウェーデン勢の合唱(スウェーデン放送合唱団、エリック・エリクソン室内合唱団、オルフェオン・ドノスティアーラ合唱団)はベルリン・フィルの重厚な音に負けずに、しかも美しいのである。顔や手の肉がそぎ落ちてしまい骸骨のようで痛々しいアバドが印象的であった。

 

その後10年以上に渡って壮健な活動を展開し続けたアバド、その突然の訃報に驚きつつも、彼の名演の数々は、我々の記憶に刻み込まれ、いつまでも忘れられないものとなっている。

 

 

 

 
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