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ウォルフガング・サヴァリッシュ

ウォルフガング・サヴァリッシュ

                    




今日はウォルフガング・サヴァリッシュの88回目の誕生日だ。サヴァリッシュは1923年の今日、ドイツ・バイエルン州のミュンヘンに生まれ、幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事。1947年にアウグスブルク市立歌劇場でフンパ−ディングのオペラ「ヘンゼルとグレ−テル」を指揮しデビュ−。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。1949年にはピアニストとして、ジュネ−ブ国際音楽コンク−ルの二重奏部門で1位なしの2位を得る。以後指揮者とピアニスト(主に歌曲の伴奏者として活躍)を並立させる。1953年にはア−ヘン、1958年にはヴィスバ−デン、1960年にはケルンの音楽総監督を歴任。1957年にはバイロイト音楽祭デビュ−(33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録)を果す。歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィ−ン交響楽団、ハンブルク・フィル、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。1971年からは故郷、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽監督(1982年から92年は音楽総監督)に就任。1983年にはワ−グナ−の主要作品を、1988年にはリヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ム−ティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督(2002年まで)に就任。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、2006年3月に病気の悪化を理由にその後のすべてのコンサ−トのスケジュ−ルをキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。ミラノスカラ座からトスカニーニバトン、ベルリンフィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。

 




日本には1964年11月にNHK交響楽団の招きにより初来日。以来ほぼ毎年のように来日。以降N響への客演のほか、バイエルン州立歌劇場(1974年、1988年、1992年)やフィラデルフィア管弦楽団(1993年、1999年)との来日公演を行い、日本でもなじみ深い巨匠のひとりである。1967年からはN響名誉指揮者。現在は、同楽団桂冠名誉指揮者。N響とは定期公演のほか海外公演や二期会との共同制作によるオペラ上演などでも大いに活躍。また、N響の節目の演奏会には必ず登場し、1970年のベ−ト−ヴェン生誕200年のツィクルスや1973年のNHKホ−ルの杮落とし公演、1986年のN響の第1000回定期公演と、2001年の創立75周年記念公演(ともにメンデルスゾ−ンのオラトリオ「エリヤ」)などに出演。日本への最後の来日は2004年のN響の定期演奏会の指揮だった。

 

 

ウォルフガング・サヴァリッシュというと、堅実な指揮ぶりで、全然面白くないという風に評されることがあるが、彼の貴重な音楽遍歴などを考えると、そのような評価は値しない。むしろカ−ル・ベ−ム亡き後のドイツ、オ−ストリアの至宝といっても過言ではないし、実際にベ−ムはそのような趣旨の発言をしている。

 




筆者は2004年11月の彼の最後のN響の定期演奏会を聴いた。この時、仕事がメチャクチャ忙しい時期だったので、聴きに行く予定にしていなかったのだが、前週のプログラムを聴いた友人たちがこぞって『聴きに来た方がいい!』と言ってくれたので、無理をして上京したのだった。ベートーヴェンの交響曲第7番がメインのプログラムだった。この7番がメチャメチャ良かった!N響のメンバ−の顔つきが尋常でなかったのを思い出す。椅子に座ったままのサヴァリッシュの動きの小さな棒にもかかわらず、もの凄い熱演で、オケ全体の体の動きが違う。出ている音量が違う。地鳴りのように重たいティンパニ。轟々と響くコントラバスの重低音。パワー全開で音楽が熱い!その熱であたかも音楽が内側から光を発しているよう。こんなN響を見るのは初めてだ。

 

音楽が終わっても、いつまでも拍手は鳴りやまなかった。サヴァリッシュが何回も舞台に現れても拍手が衰えることはなかった。オケが退場しても聴衆の多くは逆に立ち上がり舞台の方に寄ってきて拍手を続けた。N響ではめったにお目にかからないスタンディング・オベイションだ!舞台は空となり客席の照明は全部ついている。何分たっただろうか。舞台下に押し寄せ拍手を続ける聴衆に応え、ようやくサヴァリッシュが姿を現した。拍手と歓声がひときわ高くなった。サヴァリッシュは何回も両手を上げ聴衆に応え、そして去っていった。ようやく拍手が止み人々は帰り始めた。

 




だがこの時ふと脳裏によぎったものがあった。『もしかしたら、これが最後の日本になるのでは?』と。そして自然と足は楽屋口へと向かっていった。送迎の車の周りには大勢の人がマエストロの『日本での最後の姿』をこの目に焼き付けたいと待っていた。30分ぐらい経ったころ、マエストロは我々の前に姿を現した。ホ−ル内の歓声にも負けないほどの感謝のブラボ−の声があちこちから挙がった。サヴァリッシュは車に乗り、窓を開けると出発間際に小声で「アリガトウ、サヨナラ」と言った。多くの人々の目に涙があふれた。感動的な、しかしながら感傷的なときだった。あの日、あの場所にいた多くの人々もきっとそう思っていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 
| きょうの出来事 | 20:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark | 昨年の記事
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