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クラシック専門 音楽マネジメント
2014.01.13 Monday
ニュ−イヤ−・ガラ・コンサ−ト開催
ニュ−イヤ−・ガラ・コンサ−ト開催
2014.01.01 Wednesday
明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます みなさま、新年明けましておめでとうございます。2014年が幕を開けました。今夜は午後7時15分(現地時間は午前11時15分)から、元旦恒例のウィ−ン・フィルのニュ−イヤ−・コンサ−トがあります。今年の指揮者はダニエル・バレンボイムです。 そして今年の音楽界最大の話題(?)は、なんといってもリヒャルト・シュトラウスの生誕150年でしょう。昨年のワ−グナ−やヴェルディほどではないかもしれませんが、数多くのシュトラウス作品が、また知られざるシュトラウス作品が楽しめるのでは、と思っております。 弊社も、昨年から行っております『創立20周年記念シリ−ズ』もいよいよ佳境へと入ってまいります。1月にはウィ−ン在住の音楽評論家、山崎 睦氏の特別講演会、次いで3月には新進気鋭の個性豊かなピアニスト、長富 彩のピアノリサイタル・・・、と次々とラインナップが並んでおります。ぜひご期待いただきたいと存じます。 最後になりましたが、新しい年がみなさまにとってより良き年であります様、ご多幸をお祈り申し上げます。 代表取締役 二宮 光由 2013.12.24 Tuesday
「あの日」から丸5年が経った
「あの日」から丸5年が経った
2013.12.22 Sunday
バイエルン・ミュンヘン 5冠達成!
バイエルン・ミュンヘン 5冠達成!
バイエルンはすでに三冠(ブンデスリ−ガ、DFBポカ−ル、UEFAチャンピオンズリ−グ)を達成し、そして8月にはUEFAスーパーカップを制し、すでに4つのタイトルを手中にしている。このクラブワールドカップも制したバイエルンは、史上最多の5冠達成となり、クラブ創設113年の歴史の中で輝かしい1年となった。選手たちはタイトルを勝ち取り、思い残すことなくウィンターブレイクに入ることだろう。 2013.12.20 Friday
来春からドイツがより『近く』なる!
来春からドイツがより『近く』なる!
同じく航空連合、スタ−アライアンスの一員であるルフトハンザ・ドイツ航空も羽田シフトに舵を切り、フランクフルト線(成田便は関空経由で継続)、ミュンヘン線(成田便は運休)を新規に開設するという。これにより、全日空・ルフトハンザ両社の羽田発着路線はフランクフルト・ミュンヘンの2路線5便(週35便)となる。両社の日本発着便は以下のとおりとなる。 ドイツ路線スケジュール (2014年3月30日から、すべて毎日運航)
これで、地方都市からドイツまでの旅程が大幅に改善され、「成田でのトランジット15時間」なんて目茶苦茶なスケジュ−ルは終わりを告げることになる。それにしても国交省の唱える『羽田は国内、成田は国際』という前近代的な方針は、有名無実となったのであった。 2013.09.14 Saturday
大阪クラシック
大阪クラシック
この大阪クラシックでは、オフィスビルの一角やカフェ、ホテルのロビーなど、「日常生活の場」を舞台にコンサートを行なっており、クラシックを普段あまり聴かない方でも気軽にお楽しみいただけるのがありがたい。 11日、12時15分開演の回で大阪交響楽団のホルン細田昌宏さんと関西二期会ソプラノ上村智恵さんそしてピアノの林澄子さんが出演した。会場は難波のカフェ・ド・ラ・ペ。会場は雰囲気のあるシックで、御堂筋側は全面ガラス張りといったつくり。ピアノも常設しており(しかもベ−ゼンドルファ−!)、天井も高い、とても好条件の会場です。
この公演が終わってから、梅田に用事があったので、そのついでに阪急百貨店梅田本店の9階の祝祭広場での公演をのぞきに行きました。着いたころには演奏も始まっていましたが、それよりもお客さんの多さにビックリ!。階段状になっているところに少しの隙間もないほどお客さんがぎっしり!、階段だけではなく周囲を取り囲むような感じでお客さんがぎっしり!、その上バルコニ−にもお客さんがぎっしり!。超満員、2000人を超える方がお越しになったそうで、まさに『祝祭的な』雰囲気でした。後ろのほうで取り巻いているお客さんは直接演奏する姿を見ることができないほどでしたが、そこは安心、大型ビジョンで演奏の模様を映してくれていました。大成功の祝祭広場での公演でした。 2013.08.26 Monday
今日はウォルフガング・サヴァリッシュの90回目の誕生日
今日はウォルフガング・サヴァリッシュの90回目の誕生日
サヴァリッシュは1923年の今日、ドイツ・バイエルン州のミュンヘンに生まれ、幼少期からピアノ、音楽理論、作曲を相次いで学ぶ。指揮も、現代音楽の指揮で名高いハンス・ロスバウトに師事。1947年にアウグスブルク市立歌劇場でフンパ−ディングのオペラ「ヘンゼルとグレ−テル」を指揮しデビュ−。この指揮が高く評価され、第一指揮者に抜擢される。1949年にはピアニストとして、ジュネ−ブ国際音楽コンク−ルの二重奏部門で1位なしの2位を得る。以後指揮者とピアニスト(主に歌曲の伴奏者として活躍)を並立させる。1953年にはア−ヘン、1958年にはヴィスバ−デン、1960年にはケルンの音楽総監督を歴任。1957年にはバイロイト音楽祭デビュ−(33歳でのバイロイトへの出演は当時の最年少記録)を果す。歌劇場での活躍の一方でオーケストラの音楽監督でも活躍し、ウィ−ン交響楽団、ハンブルク・フィル、スイス・ロマンド管弦楽団の首席指揮者を歴任。1971年からは故郷、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の音楽監督(1982年から92年は音楽総監督)に就任。1983年にはワ−グナ−の主要作品を、1988年にはリヒャルト・シュトラウスのすべてのオペラを上演して話題を呼んだ。バイエルンのポストを退任後、リッカルド・ム−ティの後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督(2002年まで)に就任。フィラデルフィアのポストを退任した後は特定のポストには就かずフリーの指揮者となっていたが、2006年3月に病気の悪化を理由にその後のすべてのコンサ−トのスケジュ−ルをキャンセルし、現役からの引退を事実上表明した。ミラノスカラ座からトスカニーニバトン、ベルリンフィルからニキシュメダル、ウイーン交響楽団からブルックナーメダルを贈られている。
ウォルフガング・サヴァリッシュというと、堅実な指揮ぶりで、全然面白くないという風に評されることがあるが、彼の貴重な音楽遍歴などを考えると、そのような評価は値しない。むしろ『偉大な指揮者』である。往年の巨匠、カ−ル・ベ−ム亡き後のドイツ、オ−ストリアの至宝といっても過言ではないし、実際にベ−ムはそのような趣旨の発言をしている。筆者にとってカ−ル・ベ−ムが『音楽上の神』的存在であれば、『マエストロ』サヴァリッシュはさしずめ、『音楽上の教皇』的存在なのだ。『マエストロ』サヴァリッシュの果たした功績は今でも大きいのだ。 2013.08.01 Thursday
××につける薬は全くない!
××につける薬は全くない!
僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラ−は、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。(以下、省略) と、まぁこんな具合に「いつものとおり」(何も深く考えずに)しゃべっちゃった麻生氏。後から内外から批判の的となり、困ったことに。米国の代表的なユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・ロサンゼルス)は早速、「どんな手口をナチスから学ぶ価値があるのか。ナチス・ドイツの台頭が世界を第2次世界大戦の恐怖に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」とした批判声明を発表し、「真意を明確に説明せよ」と求めているし、ドイツの週刊紙ツァイト(電子版)は、「日本の財務相がナチスの改革を手本に」という見出しで、「ナチスの時代を肯定する発言で国際的な怒りを買った」と伝えている。 今日は今日はで「誤解を招いたことは遺憾だ」とか「私がナチスやワイマール憲法にかかわる経緯について極めて否定的にとらえていることは、全体の流れをみていただいたらはっきりしている」と言い訳にもならないことを言いつつも、「誤解を招く結果となったので撤回したい」とコメントしているが、『極めて否定的にとらえている』って、どこのことを指して言っているのだろうか。どうとってみても、この29日の発言は『極めて否定的にとらえている』とは見えない。少なくとも『あの手口学んだらどうかね』だけでも、充分『肯定的に』とらえようとした感がみられるのは私だけなのだろうか。 先の参議院選で、『ねじれ』が解消して良かったと思われた有権者は早くも失望したに違いないし、そんな多くの『淡い期待』を持った人が、地獄を見た『第三帝国』時代の幕開けとダブって見えたのは私だけなのだろうか。非常に由々しき発言だったので、あえて取り上げてみた。 (伏字になっているところは、本ブログの品位を守るため、また品位の欠く「政治家」と同じにならないためにあえてこのようにいたしました。該当する最もふさわしい言葉は、読まれた方自身でお入れいただければと思います) 2013.08.01 Thursday
バイエルン会長のウリ・ヘ−ネスが脱税で起訴
バイエルン会長のウリ・ヘ−ネスが脱税で起訴
ヘーネス会長はスイスの銀行口座に長年にわたり資産を隠してきたとされ、金額は約2千万ユーロ(約26億円)の上るとされているが、その多くは時効になっているという。しかも今年1月に税務当局に対し、自ら隠し口座があることを「自首」している。 ヘーネス会長は、1952年生まれ。現役時代はバイエルン・ミュンヘンのスタ−選手として、またドイツ代表として活躍したが、ひざのけがなどで27歳の若さで現役引退。引退後はバイエルン・ミュンヘンのゼネラルマネージャーに就任して、バイエルンをヨ−ロッパ屈指のビッグ・クラブに成長させている。 ドイツの一部マスコミは、保護観察と罰金で決着するのではないかとしている。 2013.07.24 Wednesday
「トルコライスの日」やめるのって、どうよ?
「トルコライスの日」やめるのって、どうよ?
長崎市は観光客や県外にもPRしようと、2010年にトルコライスの日を定め、9月をトルコライス推進月間とした。ポスターを貼って宣伝したり、店ごとにサービスをしたりしている。1890年、日本を親善訪問し、長崎にも寄港したトルコ軍艦が帰路の9月16日、和歌山県沖で遭難し、地元住民が救援したのが縁で、両国の友好が深まった史実にちなんだものらしい。 ところが、トルコ大使館が今月上旬、「トルコでは遭難死した乗組員を悼む日。その日を豚肉を使った料理のPRに使うのは、友好にとって逆効果ではないか」と市側に問いかけたという。 もともと、トルコライスの名前の由来は「ピラフとスパゲティ、トンカツの3品の盛りつけをフランス国旗の三色旗(トリコロール)になぞらえた」「考案した店の名」など諸説ある。戦後に誕生したとされ、トンカツや洋食がごちそうだった高度経済成長期市内の喫茶店や食堂に広まり、市民のソウルフードとなったという。今では店によってステーキやシーフードをのせるなど、様々にアレンジされているらしい。要するに「トルコ」とは直接関係ないのだ。 市は「勉強不足だった」としているが、トルコ大使館の言うとおり「トルコライスは長崎独自の食文化。それを否定するつもりはない」と言っている以上、そんなに目くじら立てる必要はなく、もっとおおらかな気持ちを持ってこのB級グルメを育んではいかがかと思う。だが同時にトルコ大使館は「トルコライスはトルコ料理ではありません」としている以上、「トルコ」という国とは関係ない普及に努めればいいのではないのか。こんな風に戦々恐々としていたら、イタリア・ナポリ市から「『スバゲティ・ナポリタン』なんて食べ物はイタリアにはないよ!」って言われたら、いったいどうするんだ!?
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