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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第20回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第20回

 

 

第7章  ザルツブルクと音楽祭とオペラハウス(その1)

 

 

ザルツブルクについて






オーストリアの首都ウィーンから西に約300kmに位置し、さらに西へ約140km行くとドイツのミュンヘンというロケーション。ザルツブルクの語源は、ザルツ(塩)、ブルク(城)というもので、街中を流れるザルツァッハ川を利用した塩の集積地として栄えた。

 

ザルツブルクの歴史は大変古く、紀元前2000年よりも前から先住民族によって塩の採掘が行われていた。ザルツブルク郊外の湖水地方、ザルツカンマーグートの街ハルシュタットでは、紀元前10世紀頃のケルト人の高度な文明の跡が残っている。ローマ帝国の支配の後、798年に大司教区に選定され、アルプス以北でもっとも権力を持つカトリックの街として栄えた。ナポレオンによって大司教区が廃止された後、一時期バイエルン王国に併合されるが、ウィーン会議でオーストリアの町となって現在に至る。旧市街の街並みは北のローマと呼ばれたほど豪華な大聖堂、レジデンツ、教会、修道院などが建ち並び、1996年に世界遺産に登録された。また、「ドレミの歌」や「エーデルワイス」等で知られるミュージカル映画の傑作「サウンド・オブ・ミュージック」も全編を通してザルツブルクが舞台。

 





ザルツブルクでは夏の音楽祭が有名ではあるが、そのほかにもモ−ツァルト週間(1月下旬から2月上旬)、復活祭音楽祭(復活祭の期間中、年によって移動する)、聖霊降臨祭音楽祭(5月下旬から6月上旬)、それに芸術週間(10月下旬から11月上旬)にも行われている。

 

 

 

 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第19回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第19回

 

第6章  ミュンヘンのオペラハウス(その2)

 

 

バイロイトを模した劇場、プリンツレゲンテン劇場




 

 
バイロイト祝祭劇場を模して作られたプリンツレゲンテン劇場。プリンツレゲンテン劇場はマックス・リットマン設計のもと1900年に古典様式とユーゲントシュティール様式の複合建築として建てられ、今日まで理想的な劇場建築といわれている。この劇場のすぐ西側にヴァーグナーのモニュメント(1913年制作)があるが、もともとこの劇場がヴァーグナーのために捧げられるために造られたからだ。劇場内はミュンヘンの他のオペラ劇場のような馬蹄形ではなく、ドイツでは非常に珍しい階段状の客席が扇のように広がる、アンフィテアター様式である。


こけら落としは1901年8月21日にワ−グナ−の「マイスタージンガー」。またこの劇場では1917年にブルーノ・ワルター指揮でプフィッツナーの「パレストリーナ」を、1957年にはヒンデミット指揮でヒンデミットの「世界の調和」が初演され、クナッパーツブッシュ指揮でシャルパンティエの「ルイーズ」がドイツ初演された。この劇場がミュンヘン・オペラフェスティバル発祥の地ということで、オペラ・フェスティバルの会場のひとつとして主にバロックオペラが上演されることが多い。 





 
た座席(座席数1,025席)は音の吸収をなくすためクッションが付いていない。これもバイロイトのようであり、このことにより音響の素晴らしい劇場として知られている。第二次世界大戦でバイエルン州立劇場が壊滅状態にあったとき、この劇場がその代わりの役目を果たした。

 

 

 

ロココ劇場として大変美しいキュヴィリエ劇場

 





キュヴィリエ劇場はレジデンツ宮殿内にある元王室専用の劇場(座席数523席)。バイエルン選帝候マックス3世ヨーゼフのもと、1751年から53年にかけてフランソワ・キュヴィリエによって建てられたもので、内装にはヨハン・バプティスト・シュトラウプやヨハン・バプティスト・ツィンマーマンが協力している。世界で最も華麗なロココ劇場と称されている。王室専用ということでその規模は小さいが装飾は華麗。モーツァルトが1780年、
バイエルン選帝侯カール・テオドルがミュンヘンの謝肉祭のために作曲を依頼し、この劇場のために「イドメネオ」を作曲。翌1781年1月29日にミュンヘンのレジデンツ劇場(現在のキュヴィリエ劇場)で初演された。

劇場としてのこけら落としは1753年10月12日にフェッランディーニのオペラ「ウティカのカトーネ」。ここではトラエッタ、サッキーニらの作品が上演され、選帝候の姉でザクセン選帝候夫人マリア・アントニア・ヴァルプルギスのオペラ「アマゾンの女王タレストリ」も上演された。1944年爆撃により焼失するが、その直前に劇場関係者により解体保存されて難を逃れた。しかし、その関係者たちも爆撃に巻き込まれて、戦後長い間キュヴィリエ劇場の存在は忘れ去られていた。だが奇跡的に発見され、レジデンツ宮殿内の違う場所に1958年に修復される。そのこけら落としは6月12日にモーツァルトの「フィガロの結婚」で再開場を行う。以来、主に室内楽や歌曲のリサイタルの会場として使われるようになった。それは当初の場所でなく、別の場所に移設されたため、舞台の広さが狭くなってしまったためで、その問題を解決するために近年大修理工事をおこない、2008年1月にモ−ツァルトの「イドメネオ」で再開場を行った。

 

 

 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第18回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第18回

 

第6章  ミュンヘンのオペラハウス(その1)

 

 

 ミュンヘンのオペラの殿堂、ナツィオナルテアター





 

ミュンヘンはプロイセンの台頭により大きくなった新興都市ベルリンとは違い、750年以上続いた名門ヴィッテルスバッハ家の居城都市、バイエルン公国、後に王国の首都として栄えてきた。プロイセンとバイエルンは昔から仲が悪く、その首都であるベルリンとミュンヘンも全く別の顔を持ちながらも、あらゆる面で絶えず北と南の中心を成してきた。


南ドイツの主要都市ミュンヘン。ここのオペラの殿堂はやはりナツィオナルテアターだ。ドイツ国内には州立歌劇場(Staatsoper)は数多くありますが、国立劇場(Nationaltheater)と呼ばれる劇場はマンハイム、ワイマールとここミュンヘンの3箇所しかない。


現在のバイエルン州立歌劇場の前身となる王立ナツィオナルテアターは、マックス・ヨーゼフ1世の命により、カール・フォン・フィッシャーが設計、擬古典主義の建築で、パリのオデオン座を手本に1818年に完成しました。その5年後に焼失したが、ビール税によりレオ・フォン・クレンツェの手によって2年後には復元される。






大戦では1943年10月31日、外壁のみを残して破壊されるが、空爆前に細かな装飾の大部分を取り外し別の場所に保管していたため、1963年オリジナルの設計図に基づき正確に復元された。11月21日にカイルベルトの指揮、R.シュトラウスの「影のない女」で柿落とし。1972年、彫刻家ゲオルグ・ブレニンガーによって「アポロとミューズ」のモニュメントが造られた。


全長115m、幅55m、高さ55mという巨大な建物で、舞台の高さは13m,幅16m、奥行き47m。客席は4段に分かれた重層式で、各階ごとにロココ調の異なる装飾が施され、素晴らしい音響効果を誇っている。座席数は2,123席。ほかに320席の立見席が用意されている。


ルートヴィヒ2世の時代、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ラインの黄金」「ワルキューレ」が初演された他、ミュンヘン出身の作曲家、R.シュトラウスの「平和の日」と「カプリッチョ」も初演されている。

 


大戦以来、ライトナー、ショルティ、ケンペ、カイルベルト、サヴァリッシュ、メータという傑出した音楽監督に恵まれ、モーツァルト、ワーグナー、R.シュトラウスを中心とする幅広いレパートリーを持ち、高い音楽性を維持している。現在の音楽監督はケント・ナガノ。シーズンは10月から7月。毎年7月にはオペラ祭を開催、恒例で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」がオペラ祭とシーズンのフィナーレを飾っている。

 

 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第17回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第17回

 

第5章  ニューヨークのオペラハウス

 

 

メトロポリタン歌劇場





アメリカが世界に誇るオペラハウス、それがニューヨークのメトロポリタン歌劇場である。ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場などヨーロッパの伝統ある歌劇場と並び称される世界最大のオペラハウス、メトロポリタン歌劇場。「メト」や「メット」という愛称で親しまれている。世界4大歌劇場とか5大歌劇場と言われる中にも必ず入る素晴らしいオペラハウスである。


大都会ニューヨークが世界に誇るメトロポリタンオペラハウスは、ウエストエンド地区のリンカーン・センター内にある。リンカーンセンターとは、映画「ウェストサイド物語」のロケ地にもなった62丁目から66丁目にかけてのスラム街に1959年から建てられた総合芸術文化センター。現在は、メトを始め8つの劇場、ジュリアード音楽院、市立図書館などで構成されている。メト以外の劇場では、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地のエヴリー・フィッシャー・ホールや、豪華な内装で知られるニューヨーク・シティ・オペラの本拠地ニューヨーク州立劇場などが有名。この一角はクラシック音楽の殿堂になっており、オペラハウスは、パリのオペラ・バスティーユと並んで世界最大規模を誇っている。





ヨーロッパの劇場に比べると歴史は浅いが、それでもアメリカには珍しく100年以上の歴史を誇る。最初の劇場は、1883年にブロードウェイの39丁目から40丁目にかけて建てられ、グノーの「ファウスト」で開場した。1900年代初頭にはシャリアピンやカルーソーが歌い、トスカニーニがタクトを振り、全盛期を迎えた。その後火災や修復を経たが、老朽化が深刻な問題となり、1966年に現在のリンカーンセンターに移転した。そして同年9月16日、バーバーのオペラ「アントニーとクレオパトラ」の世界初演で開場した。メトは、建築家のフィリップ・ジョンソンが設計したもので、外壁が大理石で覆われ、正面入口には古代ギリシャ風のアーチが並び、ロビーの左右にはシャガールの2つの壁画がある。客席は6層からなる巨大な空間で、約4,000人を収容する世界最大の劇場だが、音響はとても良い。しかし後部の座席の場合にはオペラグラスは必須アイテムであろう。ステージの設備も最新鋭のもので、
通常の本舞台の他に、その左右、後方、地下の合計5つのステージがあり、4幕ものの作品でも、あらかじめ全てのセットを組み立てることができる。また8つのせり設けられ、舞台を立体的に使うことができるなど、あらゆる大掛かりな演出を可能にしている。巨大な緞帳も世界一の大きさと言われている。シ−ズンは9月下旬から4月末まで、シーズン中には約20の演目を日曜以外毎日(土曜は午後と夜の2公演)上演しており、ここでは出演者以外にもたくさんの技術スタッフ、コスチューム・デザイナー、お針子さんなどが24時間勤務している。


現在の音楽監督は、1971年にデビュー、1973年から首席指揮者、1975年から音楽監督、1986年から芸術監督を努めるジェームス・レヴァイン。彼は2004年からは小澤征爾の後任として、ボストン交響楽団の音楽監督も努めており、文字通り現代アメリカ最高の指揮者と言われている。

 


 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第16回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第16回

 

第4章  パリのオペラハウス(その2)

 

 

パリ・シャトレ座とパリ市立劇場

 



さて国立オペラ座の他にも素晴らしい劇場がたくさんあるので簡単に紹介していこう。まず、パリの中心に位置し、セーヌ川沿いの素晴らしいロケーションにあるシャトレ座、正式名称はシャトレ・パリ音楽劇場。1873年に指揮者のコロンヌが創設したオーケストラの本拠地としてオープンしたが、ベルリオーズ、ビゼー、マスネ、サン=サーンス、フランク、ドビュッシー、フォーレら近代フランス人作曲家の作品を次々に紹介した功績は大きい。長い間オペレッタ専用劇場となっていたが、1980年に大改築し、以後オペラ、バレエ、コンサート等多彩なプログラムが積極的に組まれるようになった。客席は2,010席。  






そのシャトレ座とシャトレ広場を挟んで対面に立つのが、パリ市立劇場で、1862年に開場した。 1899年に芸術監督の就任した名女優のサラ・ベルナールの名前にちなんで、サラ・ベルナール劇場と呼ばれるが、1968年に全面改装され、近代的な劇場になった。 

 

オペラ=コミック座とシャンゼリゼ劇場



 

パリのオペラハウスで最も小さいのが、オペラ=コミック座。ガルニエ宮からほど近い場所に立つが、台本作家の名前を取り、ファヴァル劇場とも呼ばれる。1783年に建設され、2度に渡って全焼したが、その都度蘇った。オッフェンバックの「ホフマン物語」、マスネの「マノン」、ビゼ−の「カルメン」らを初演した輝かしい歴史を誇る。正面の入口が通り沿いではなく、細い横道に入ったところにあるので、少々分かりにくい。座席は1,200席で、2005年より国立劇場となった。 

 





シャンゼリゼ通りから伸びるモンテーニュ通りにあるのが、シャンゼリゼ劇場。パリ唯一の市立のオペラハウスで、1913年4月に開場した。その2ヵ月後、ロシア・バレエ団によるストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演は、賛成派、反対派が入り乱れての大騒ぎとなり、クラシック史上に残る1大スキャンダルとして有名である。現在は、バロック・オペラが中心に上演され、オーケストラのコンサートやリサイタルも行われる。客席は約1,900席。 

 

ロンドン、ニューヨーク、東京などと並んで世界有数の音楽都市パリ。観光やショッピングだけでなく、ぜひオペラやコンサートを楽しもう!

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第15回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第15回

 

第4章  パリのオペラハウス(その1)

 

 

パリ国立オペラ座のふたつの劇場






花の都、そして芸術の都パリ。2008年7月、未だ来日だった最後の大物オペラハウスとして日本のオペラ・ファンが待ち焦がれていたパリ・オペラ座が来日した。決して一般的でない演目を持ってきたけれど、上演水準は一流のもので、さすがはという声が多かったのもうなづける。ここではパリ・オペラ座をはじめ、他の魅力的な劇場と一緒に一挙に紹介しよう。


まずパリと言えば、やはり国立のオペラ座。このパリ国立オペラ座は、2つの素晴らしいオペラハウスを持っている。ひとつは近代的なバスティーユ劇場。ミッテラン大統領がフランス革命200年を記念して“民衆のためのオペラハウスを”というスローガンで造られた劇場である。それも1789年7月14日にフランス革命が始まったバスティーユ牢獄があるその場所に!





ちょうど200年後の1989年7月14日に式典が行われ、翌1990年からオペラの上演が始まった。客席は2,700席を誇り、最新の舞台装置や音響設備を兼ね備え、外観は近代建設の粋を集め、一面ガラス張りのモダンな劇場。特にステージは世界最多の9面舞台を持っており、どんな演出も可能にしている。出来た当時は、パリの美観を損なうと非難轟々だったが、現在のバスティーユ劇場の近辺は、オペラハウスの完成以降、ファッショナブルな町として非常に賑わっている。開場当時は、オペラはバスティーユ、バレエはガルニエ宮ということだったが、現在では、バロック、モーツァルト等の規模の小さなオペラはガルニエ宮、そしてバスティーユでもバレエが上演される。ユーグ・ガルの定年退職を受け、2004年が総裁に就任したベルギー人のジェラール・モルティエは、ザルツブルク音楽祭の総監督として敏腕を振るってきた大物。若者にオペラをスローガンに、新機軸を打ち出し、新演出や新作オペラの上演等で評価が高かった。




 

もうひとつの国立オペラ座は、ガルニエ宮。パリの中心に位置し、劇場自体が美術館と呼べるような豪華絢爛なネオバロック様式による宮殿。世界一豪華で広大な敷地を持つ劇場である。世界最大級の床面積を誇り、世界で最も優雅で美しい劇場と言われている。


荘厳な正面玄関を入るとシャガールの天井画“夢の花束”を始め、広い大理石の階段と共に無数のシャンデリアや装飾が出迎える。そして、ヴェルサイユ宮殿の大広間のような豪華絢爛なホワイエ、壁には数多い絵画、床は贅を尽くしたモザイクとまさに夢の空間である。






14年もの工事を経て、1875年の1月に開場、長くヨーロッパのオペラシーンを飾ってきた。バスティーユが出来てから改修工事に入り、1996年には美しい内装が蘇った。当初バスティーユでオペラ、ガルニエでバレエという風に区分されていたが、モルティエが来てからは、バロック・オペラ等を中心にガルニエでもかなりのオペラが上演されている。客席は1,900席で、巨大空間にも関わらず音響はとても良い。そんなガルニエ宮なのだから、オペラを鑑賞せずとも見学に行く価値は充分なので、パリ観光の際はぜひ行こう!


もちろん、非常にレヴェルの高いオーケストラ、合唱団を抱え、特にバレエ団は世界トップクラスの実力と栄光の歴史を持っている。


そして、ガルニエ宮の地下水路には怪人が住んでおり、シャンデリアが落ちてこないように注意しなければならない。(ミュ−ジカル「オペラ座の怪人」の観すぎ?)

 

 

 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第14回
 

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第14回

 

第3章  栄光のミラノ・スカラ座

 




オペラの殿堂、ミラノ・スカラ座。世界中のオペラファンが巡礼に訪れ、あらゆる歌手たちが出演を夢見て憧れるオペラの聖地である。


ミラノへ行ったことがある人であれば必ず一度は通るであろう市内の中心に位置し、ミラノっ子たちの自慢の劇場となっている。


開場は今から約230年前の1778年。当時ミラノを支配していたハプスブルグ家のオーストリア帝国がサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の跡地に立てたので、この名前が付けられた。このスカラという名前は、ある女性に由来している。ヴェローナの貴族スカラ家のベアトリーチェ・デッラ・スカラというお姫様が、ミラノの支配者ヴィスコンティ一族(映画監督ルキノ・ヴィスコンティはこの一族の末裔)に嫁ぎ、彼女の名前の教会が作られた。イタリア語でスカラ(Scala)とは、はしごや階段という意味で、スカラ家の紋章もはしごの形をしていて、今もヴェローナ市内の至るところで見ることが出来る。






初演の演目は、モーツァルトを暗殺したというありがたくない汚名を着せられているアントニオ・サリエリの「認められたエウローパ」。スカラ座でも初演以来、上演されることはなかったが、2004年12月7日(ミランの守護聖人サンタンブロージュの日)に3年弱の大改築工事から再開場した際に同演目が上演され、サリエリを再評価する声が高まっている。

 

劇場の造りは典型的な馬蹄形で、鮮やかな金色とシックな赤で統一されたゴージャスな内装。天井からは豪華絢爛なシャンデリアが下がり、重厚感のある紅いビロードの緞帳も素晴らしい雰囲気を醸し出している。


客席は6層からなり、プラテア(平土間)の上に4層のパルコ(ボックス席)、そしてさらに2層のガレリア(天井桟敷)が重なっている。漆喰に秘密が隠されているという音響は抜群で、広い舞台の後ろからでも良く響く。






そしてスカラ座の名物といえば、ガレリアに陣取る厳しい観客であろう。パルマのレッジョ劇場と並び、世界一厳しい劇場として知られ、たとえビッグ・ネームのスター歌手でも、調子が悪ければブーイングの嵐となる。そして、どんなに素晴らしいアリアの後でもオーケストラの音が完全に消えるまでは拍手を許さない、というしきたりもこの劇場ならでは。


スカラ座の栄光に包まれた歴史は、初演された数々の名作でも分かる。19世紀に入ってからロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ等が数多くの作品を初演し、イタリアオペラ最大の巨人ヴェルディもデビュー作の「オベルト」や初期の「ナブッコ」から最晩年の「オテロ」「ファルスタッフ」まで、傑作群がスカラ座で初演された。その後の主な作品としてもジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」、プッチーニの「蝶々夫人」や「トゥーランドット」などが挙げられ、まさにイタリアのオペラ史そのものである。 

 

 

 

 

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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第13回

長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第13回

  

   第2章  番外編 ベルリンのコンサ−トホ−ル

 

ウィ−ンの章でも行ったが、ベルリンでもコンサ−トホ−ルについて番外編でご紹介したいと思う。ベルリンには3つのオペラハウスの他、フィルハーモニー、コンツェルトハウスというタイプのまったく違う2つの立派なコンサートハウスを持っている。 



 

   ベルリン・フィルハ−モニ−





 

まずはフィルハーモニー。世界に冠たるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である。統一ベルリンの市の中央、壁跡地近くにあるベルリン・フィルの本拠地として世界的に名高いコンサートホール。大戦でホールが破壊され、戦後世界最高のオーケストラに相応しいコンサート・ホールを建設しようという機運が徐々に高まり、旧西ベルリンの中でも最も東寄りで、ベルリンの壁やブランデンブルク門からほど近いティアガルテン地区を芸術の中心地“文化フォーラム”にするという再開発計画が始まった。それは、東西ドイツが統一された時にベルリンの中心になるように、西ベルリンの最も東寄りに造ったのである。フィルハーモニーはもともと西ベルリンの中心地に建てられる予定だったが、文化フォーラム計画の目玉として、当時は周囲に何もないところへ建てられた。1956年、コンペでベルリンの建築家ハンス・シャロウンの設計が採用され、コンセプトは「人・空間・音楽の新しい関係」で、ホールの中心に舞台を配置し、それを四方から観客席で取り囲むというもので、非常に斬新な設計で、いわゆる「アリーナ形式」のホールの出発点となった。そして、19631015日、ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルを振ってベートーヴェンの第九を演奏して華々しく開場した。 ちなみに現在の文化フォーラム・エリアには、新ナショナルギャラリーや、絵画館、楽器博物館などが出来ている。しかも新しいベルリンのシンボルとして急ピッチで再開発が進められているポツダム広場にも面しており、このエリアがベルリンの中心地になりつつある。





 

さてドイツが生んだ名建築家ハンス・シャロウンの作ったこのフィルハーモニーは、典型的なワインヤード型のホールである。ワインヤード形とは、舞台を最も低い位置に置き、それをぐるりと取り囲むような形で客席が造られる。客席はいくつかのブロックに分かれ、段差をつけているため、どの席からも視界が良く、演奏者と聴衆との距離も近く、一体感が出やすい。しかし一方で、音響の面では、席によって均一にはならない等の問題点がある。ワインヤードというのは、客席が段々畑のようになっているためである。日本では、サントリーホールの大ホールや、ミューザ川崎のシンフォニーホールがワインヤード型と言えるだろう。

 

舞台が中央にあるということで、音響面では様々な工夫を余儀なくされ、客席を18のブロックに分かれ、舞台の上に10枚の反響板を吊したり、壁に木製の反響材を使用したり、また1992年には音響効果をさらに高めるための大規模な修復工事が行われた。残響は1.6秒、まさに世界トップクラスで、ベルリン・フィルの比類なき巨大な音量は、まさにこのホールが作り出したものである。建物の外観や内部だけはでなく、他のヨーロッパの伝統的なホールとは明らかに違う音響効果を備えたホールとして、近代コンサート・ホールの傑作として賞賛されている。





 

大ホールの客席は2,218席で、1987年に出来た隣接の室内楽ホールは、1,150席。観客1人あたりの占有空間容積は世界一と言われており、音響も抜群に良い。そして、40年以上が経った今でもその斬新なデザインは世界中のホールの模範となっている。 また、外観はサーカスのテントのような形状で、金色に輝いており、「カラヤン・サ−カス」の異名をとる。

 




 

   ベルリン・コンツェルトハウス





 

もう1つは旧東ベルリンのコンツェルトハウス。ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(2006年まではベルリン交響楽団)の本拠地である。ベルリンで1番美しい場所と言われるジェンダルメンマルクト広場の中央に建ち、ドイツ大聖堂とフランス大聖堂の間にあるギリシャ神殿様式の美しいホールである。ウンター・デン・リンデンの州立歌劇場から2ブロック入った場所にある。前の庭には、大詩人フリードリヒ・シラーの像が4人の女神に囲まれて、このホールを見守っている。劇場は1821年に完成したが、最初に上演されたオペラがドイツ・ロマン派オペラの金字塔と言われるウェーバーの「魔弾の射手」という栄光の歴史を持つ。建築は新古典主義の天才建築家と言われたカルル・フリードリッヒ・シンケル。長い間、シャウシュピールハウス(演劇のための劇場)と呼ばれていたが、1994年に現在の名前になった。 





 

こちらのホールは、シューボックス型と言われるもの。長方形の箱型で、客席と舞台が向き合う形になっている。天井が高く平らになっているために音響はこのスタイルが最も良いとされていてどの席でも均一な響きが得られる。しかし、舞台が高い位置にあり、客席が平らな場合には、かなり視覚的な難点があり、たとえ平土間でも後部の座席からはかなり見づらいことも多い。客席は大ホールが1,562席、小ホールは392席。 

 
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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第12回
長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第12回




 

第2章  ベルリンのオペラハウス(その2)

 

 

  ベルリン・ドイツ・オペラ(ドイッチェ・オパ−)







続いてベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper Berlin)という旧西ベルリンのオペラハウス。ドイツ語ではドイッチェ・オパー。1912年ベルリン郊外の新しい町、シャルロッテンブルクに建てられ、ベートーヴェンの「フィデリオ」でこけら落としが行われた。州立歌劇場とは違い、人民のためのオペラハウスとして、新作上演や斬新な演出が盛んに行われた。第2次世界大戦の空爆で破壊されたが、1961年、
フリッツ・ボーンマンにより、破壊された劇場の一部を利用する形で建築され、
モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」で再開場する。それが現在の劇場で、モダンな外観、内装を持つ。

なお、日比谷の日生劇場が1963年のこけら落としのために招聘したのが、このベルリン・ドイツ・オペラの「フィデリオ」である(他にモ−ツァルトの「フィガロの結婚」、ワ−グナ−の「トリスタンとイゾルデ」、ベルクの「ヴォツェック」にベ−ト−ヴェンの交響曲第9)であり、以来たびたび来日している。






 

ワルター、フリッチャイ、マゼール、シノーポリらが、この劇場を一流のレヴェルに押し上げてきた。現代作曲家のハンス・ヴェルナー・ヘンツェの「鹿の王」「若き貴族」「裏切られた海」など、数多くの現代作曲家の初演も積極的に行ってきた。80年代には総支配人を努めるゲッツ・フリードリッヒが名演出家として新演出の名舞台を作り上げてきた。わが国では1987年の来日公演のワ−グナ−の「ニ−ベルングの指輪」全4部作の日本初演の際のいわゆる「トンネル・リング」がつとに有名となった。そして最近ではティーレマン、パルンボらが音楽監督を努めていたが、2009年からは世界でも珍しいサウスポーの指揮者、ドナルド・ラニクルズが就任する予定である。 客席は1,885席。

 


 




 

独自路線を行くコミッシェ・オパ−






もうひとつの劇場はコミッシェ・オパー(Komische Oper)。これも旧東ベルリンのオペラハウスで、州立歌劇場からウンター・デン・リンデン通りをブランデンブルグ門の方へ少し行ったところにあるが、入口は裏側の通りになる。最大の特徴は、どんなオペラでも必ずドイツ語で上演するということ。「椿姫」でも「カルメン」でも何でもすべてドイツ語で上演する。歴史は3つの劇場で1番新しく、戦前メトロポール劇場というオペレッタ劇場が立っていた場所に、1947年開場。オーストリアの俳優兼演出家、ヴァルター・フェルゼンシュタインが初代監督に就任し、人民のための劇場、音楽と演劇との融合を基本理念とした。1981年に芸術監督になった演出家のハリー・クプファーもその理念を継承し、高い水準を保ってきた。2004年からは若手演出家のアンドレアス・ホモキが就任話題を集めている。外観はモダンで何の変哲もない建物だが、内装は赤を基調とした壮麗な馬蹄形。客席は、1,396席。

 

 

 


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長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第11回
長期連載シリ−ズ  世界のオペラハウス 第11回




 

第2章  ベルリンのオペラハウス(その1)

 

 

ベルリン州立歌劇場(リンデン・オパ−)

 




約1ヶ月お休みいただきましたが、今週からこの連載を復活いたします。お楽しみ下さい。


ウィ−ンとくれば次はベルリンということで、東西統一ドイツのシンボル、ドイツ最大の芸術の都、ベルリン。無数の劇場が存在するが、その中でも3つのオペラハウスを紹介しよう。

まずはベルリン州立(国立)歌劇場。正式名称を、シュターツオパー・ウンター・デン・リンデン(Staatsoper Unter den Linden)という。ウンター・デン・リンデンというのは、「菩提樹の下」という意味で、旧東ベルリンのシンボルのような大通りの名前。地元の人達は、愛情を込めて、リンデン・オパー(菩提樹歌劇場)というような言い方もする。シュターツオパーの方は直訳すると、国立歌劇場となる。しかし、現在ドイツでは国立のオペラハウスは存在せず、すべて州からの助成金で運営されているため、本来どおり州立という表記をすることにしよう。

 
当時のプロイセン王は、有名なフリードリヒ大王だったが、彼は音楽を大変愛しており、素晴らしいオペラの殿堂を造った。1742127日に
「クレオパトラとシーザー」でこけら落とし。1842年にはマイアベーアが劇場支配人に就任し、メンデルスゾーンも度々客演している。






1843年に全焼してしまったが、建築家カール・フェルディナンド・ラングハウスによる2番目の建物を翌年建てられ、それが現在の州立歌劇場の原型となっている。以降、リヒャルト・シュトラウス、エーリヒ・クライバー(カルロスの父)ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、オットー・クレンペラー、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー、ブルーノ・ワルターらもこの劇場の音楽監督を務めた。そして第1次世界大戦後、ドイツの君主制が終焉し、ベルリン・シュターツオパーと名前を変える。ヒトラーがこの劇場をナチスのシンボルのように重要視したため、第2次世界大戦では爆撃によって壊滅的な打撃を受けた。その後1955年に再建されたが、1961年の東西の壁が出来た際、多くの優秀なアーティストは、西ベルリンへ移り住んでしまった。しかし、名テノールのペーター・シュライヤー、バス・バリトンのテオ・アダムら東ベルリンに残り、長い間劇場を支え続けた。東西の壁が壊された後、1992年にダニエル・バレンボイムが音楽総監督に就任、名演出家ハリー・クプファーと造り上げたワグナーの「指環」4部作を始め、数多くの名舞台を残してきた。






オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」(1849)、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」(1925)等を初演した輝ける歴史も持つ。また、オケピットに入っているのは、ベルリン・シュターツカペレ(ベルリン州立歌劇場管弦楽団)で、ドイツで最も古い伝統を誇り、オペラだけでなく単独のコンサートも数多く行っている。客席は1,270席とサイズは小ぶり。今年夏から改修工事のため一時閉鎖し、再開場は201310月。

 

 
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